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イブキちゃんの聖書入門#52 「占いの危険性」

"あなたの神、主があなたに与えようとしておられる地に入ったとき、あなたは、その異邦の民の忌み嫌うべき慣わしをまねてはならない。
あなたのうちに、自分の息子、娘に火の中を通らせる者、占いをする者、卜者、まじない師、呪術者、
呪文を唱える者、霊媒をする者、口寄せ、死者に伺いを立てる者があってはならない。
これらのことを行う者はみな、主が忌み嫌われるからである。これらの忌み嫌うべきことのゆえに、あなたの神、主はあなたの前から彼らを追い払われるのである。"
申命記 18章9~12節

★羊の皮を被った狼

⭐︎私は今はもう殆どテレビは観なくなり、最近のテレビ番組の実状はわからないのですが、少なくとも、私がまだ大学生だった頃までは、朝の情報系番組の中で、「あなたの今日の運気」を教えるような短い占いのコーナーがありました。

「水瓶座のあなたは、今日は午後から絶好調!良い出会いがあるかも」とか、「あなたの今日のラッキーカラーは薄い紫色です」とか、女子アナウンサーが毎朝にこやかに解説していた、例の定例コーナーです。

大して気にも掛けないけど、とりあえずはチェックしておくか、と言うような心持ちで毎朝耳を傾けていた人は結構多かったのかも知れません。
その結果次第で、多少の気分の浮き沈みもあったことでしょう。
(それはクリスチャンではなかった当時の私を含めて)。

そのような「ライトな占い」は、また「占い」という言葉を使わなくても、手相や風水や姓名判断、時にスピリチュアルといった数多の形態を取って、テレビだけではなく、雑誌の一企画として、またネット上の広告の中にも紛れ込んでおり、一見無害かのような装いをもって、私たちの日常に忍び込んで来ています。

半ば「文化や遊びの一種」として、「宗教性のないもの」として、一定の市民権を得ているようにすら感じます。

ですので、「無宗教」だと自認している多くの日本人でも、占いや手相、風水などを抵抗なく受け入れ、それらを自分の生活の中に取り入れる人は意外と多いのだと思います。

しかし聖書が示す観点から言えば、あらゆる種類の占い(星座占いや、タロットは勿論、手相や風水も含む)は確実に「ある種の宗教」であり、しかもそれは「真の神が忌み嫌う信仰体系を持った闇の宗教」なのです。

⭐︎恐山のイタコや、沖縄のユタなどが行うとされる霊媒(口寄せ)は、明らかに、ある種の非日常的な宗教性に根付いたものであると誰でもわかると思います。

宗教的ではない人でも、あからさまに重い、異世界的な湿った空気感、「ヤバい霊的な何か」をそこに感じるのではないでしょうか。

しかし聖書によれば、多くの人が気軽い遊び程度に感じている占いやスピリチュアルに属するものは、そのような「ヤバい霊媒」と同列に扱われています。

"あなたの神、主があなたに与えようとしておられる地に入ったとき、あなたは、その異邦の民の忌み嫌うべき慣わしをまねてはならない。
あなたのうちに、自分の息子、娘に火の中を通らせる者、占いをする者、卜者、まじない師、呪術者、
呪文を唱える者、霊媒をする者、口寄せ、死者に伺いを立てる者があってはならない。

これらのことを行う者はみな、主が忌み嫌われるからである。これらの忌み嫌うべきことのゆえに、あなたの神、主はあなたの前から彼らを追い払われるのである。"
申命記 18章9~12節

霊媒、口寄せが「闇の宗教」に属するものであるならば、その「弟分」とも言える占いも、いわゆる「スピリチュアル」と呼ばれるものも、それと同じ「闇の宗教」の住民なのです。

★光か闇か

⭐︎では何故、私たちの造り主である、本当の神である聖書の神は、霊媒、占いを忌み嫌われるのしょうか?

それらは何故、「闇の宗教」と言えるのでしょうか?

簡潔に答えを言えば、それら霊媒、占いは「悪魔から来ている」からです。

⭐︎「悪魔」とは、旧約聖書の原語であるヘブライ語では「サタン」と呼ばれ、「敵対する者・反抗する者」という意味があります。

悪魔は元々は「良い天使」として神に創造されましたが、ある時に自分の能力と美しさに過信し、「自分が神のような存在になろう」として神に反逆し、堕落して「悪魔」(悪い天使)となりました。

悪魔は常に神に敵対し、反抗しようとし、その現れとして、神が愛されて創造された私たち人間を破壊しようとします。

私たち人間が神から与えられた信仰心を、本来は真の神に向けるべきその信仰心を、「神ではない違うもの」に向けさせようとし、偶像や偽りの宗教を多く作り出し、神と人間をどうにか引き離そうとしています。

神が「それをしてはならない」と警告されるものに、人間が心酔するように、悪魔は画策しています。

霊媒や口寄せ、魔術、占いも、そのような「悪魔の策略」の一翼を担うものなのです。

⭐︎というのは、霊媒、占いの類は「神が定められた境界線」を乗り越える行為であるからです。

実に、聖書が語る罪の本質とは、「神が定められた境界線」を勝手に乗り越えようとすること、そこにあります。

悪魔が神に造られた被造物であるにも関わらず、自分が「神」のようになろうとしたことと同じように、霊媒は「死者と生者」、占いは「現在と未来」という「神が定められた境界線」を乗り越えようとします。
(被造物に過ぎないものが神として礼拝される偶像礼拝も、「神と被造物の境界線」を破壊しようとする行為です)。

確かに私たちは「自分の将来・未来」が気になります。

しかし、未来の出来事は聖書の神のみが知っておられることです。

私たちが人類として知るべき「未来の出来事」は、神の方から聖書の「預言」という形で既に知らされています。
現在に生きる私たちの勝手な方法で、自分の未来を覗き見ようとすることを神は許されてはおられないのです。

しかし悪魔は、その勝手な行為、罪を、人間が犯すように推し進めようとして来ます。

罪の結果は滅びです。

「滅び」というのは、最終的には「火の池」(地獄)で永遠に苦しむ、ということです。

悪魔は将来、その地獄に送られることは確実なので、彼は神が愛される人間を1人でも多く、そこに道連れにしたいのです。

そうすることで、悪魔は「神への復讐」を少しでも果たそうとしています。

だからこそ神は聖書を通して、「霊媒や占いには関わるな。それは悪魔による闇の業だ」と警告されておられるのです。

⭐︎私はこれまでのクリスチャン生活の中で(決してまだ長いものではありませんが)、かつては霊媒や占い、スピリチュアル関連のものにハマってしまったが為に、心身ともに様々な実害を被って来た人たちの話をよく聞きます。

中には明らかに、魂をすり減らしている人も居ましたし、悪霊などの霊的な存在に苦しめられている人も実際に居ました。

しかし、そのような人たちも、ある時に聖書に出会い、福音を信じてクリスチャンへと変えられ、間違った霊性を求めていたことによる苦しみの渦中から救い出されました。

悪魔の住まうところ、その活動範囲が「闇」であるなら、神は何の混じり気のない「光」です。

聖書の神は不可能のないお方であり、全ての人を「光」であるご自身のもとに招いておられます。

この聖書の神にのみ、真の救い、あなたが求めてやまない霊の救いがあります。

もし今、あなたが「占いの闇」に人生が呑み込まれそうになっていて、本当の「光」を求めているのであれば、「イエス・キリストの福音:恵みの福音」を心で信じて下さい。

「イエス・キリストの福音:恵みの福音」とは、

1:罪のない神であるイエス・キリストがあなたの罪を負って十字架につき、あなたの罪の裁きを代わりに受けて死なれた、あなたの罪はキリストが既に精算された、ということ。

2:十字架で死なれたキリストは墓に葬られた、あなたの罪は既に墓に葬られた、ということ。

3:しかし神は死では終わらず、キリストは3日後に復活された、ということ。

キリストだけが、あなたを救えます。
キリストにのみ、あらゆる解決があります。

キリストこそが、道であり、真理であり、いのちなのです。

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