
イブキちゃんの聖書入門#23 「個人的終末論⑥ 死者の場所(後編)」

"また私は、大きな白い御座と、そこに着いておられる方を見た。地と天はその御前から逃げ去り、跡形もなくなった。
また私は、死んだ人々が大きい者も小さい者も御座の前に立っているのを見た。数々の書物が開かれた。書物がもう一つ開かれたが、それはいのちの書であった。死んだ者たちは、これらの書物に書かれていることにしたがい、自分の行いに応じてさばかれた。
海はその中にいる死者を出した。死とよみも、その中にいる死者を出した。彼らはそれぞれ自分の行いに応じてさばかれた。
それから、死とよみは火の池に投げ込まれた。これが、すなわち火の池が、第二の死である。
いのちの書に記されていない者はみな、火の池に投げ込まれた。"
ヨハネの黙示録 20章11~15節
"また私は、新しい天と新しい地を見た。以前の天と以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。
私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとから、天から降って来るのを見た。"
ヨハネの黙示録 21章1~2節
⭐︎今回は「死者の場所」の後編です。
前編(#20)と中編(#22)でご紹介した、13種類ある「死者の場所」を表す用語の残りのものを、全て見て行きたいと思います。
(↓前編はこちら)
(↓中編はこちら)
★8:ゲヘナ
⭐︎ゲヘナとは、ヘブライ語の「ベン・ヒンノムの谷」(「息子の谷」という意味)をギリシャ語に訳した言葉。
⭐︎旧約聖書の時代では、悪王によって人間(子供)の生贄が捧げられていた。
"アハズは二十歳で王となり、エルサレムで十六年間、王であった。彼はその父祖ダビデとは違って、主の目にかなうことを行わず、
イスラエルの王たちの道に歩み、そのうえ、バアルの神々のために鋳物の像を造った。
彼は、ベン・ヒノムの谷(ゲヘナ)で犠牲を供え、主がイスラエルの子らの前から追い払われた異邦の民の、忌み嫌うべき慣わしをまねて、自分の子どもたちに火の中を通らせた。"
歴代誌 第二 28章1~3節
⭐︎エルサレム郊外にある。
イエス・キリストが活動していた時代になると、「ベン・ヒンノムの谷」はゴミの焼却場として機能していた。
そこでは昼夜問わず、様々なものが燃やされて、煙が常に立ち上っていた。
その様子から、当時のエルサレムの人々は、ゲヘナを地獄(永遠の裁き)の象徴として捉えていたのだろう。
"しかし、わたし(イエス・キリスト)はあなたがたに言います。兄弟に対して怒る者は、だれでもさばきを受けなければなりません。兄弟に『ばか者』と言う者は最高法院でさばかれます。『愚か者』と言う者は火の燃えるゲヘナに投げ込まれます。"
マタイの福音書 5章22節
⭐︎悪魔、堕天使、罪人が行く「最終的な地獄」である。
罪の赦しを受けることなく肉体的に死んでしまった罪人にとって、「ハデス(狭義)」はゲヘナに行く途中にある中継地点のような場所。
千年王国の終わりに行われる「白き御座の裁き」の後に、それまで「ハデス(狭義)」で苦しんでいた不信仰者(罪人)が行くことになる。
「将来現れる地獄」とも言い換えることが出来る。
⭐︎「ハデス(狭義)」とゲヘナは違う。
「ハデス(狭義)」は霊魂のみが苦しむ場所だが、ゲヘナは霊魂と肉体、両方が消えない炎によって裁かれる場所である。
※クリスチャン(信仰者)が、例え肉体的に死んでしまっても、最終的に復活の体(栄光の体)を神から与えられるように、不信仰者も、最後にはその肉体は復活する。
その時、「ハデス(狭義)」で苦しんでいた不信仰者の霊魂は、復活した肉体と結合し、そしてゲヘナに投げ落とされる。
真っ暗闇の中、炎に焼かれる苦しみを、肉体的にも霊的にも、永遠に味わうことになる。
ゲヘナは「死」によって終わることはない世界なので、炎で肉体が崩れ去っても、また肉体は復活し、辞儀通りに、「永遠に」焼かれ続けることになる。
"まことに、まことに、あなたがたに言います。わたし(イエス・キリスト)のことばを聞いて、わたしを遣わされた方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきにあうことがなく、死からいのちに移っています。
まことに、まことに、あなたがたに言います。死人が神の子の声を聞く時が来ます。今がその時です。それを聞く者は生きます。
それは、父がご自分のうちにいのちを持っておられるように、子にも、自分のうちにいのちを持つようにしてくださったからです。
また父は、さばきを行う権威を子に与えてくださいました。子は人の子だからです。
このことに驚いてはなりません。墓の中にいる者がみな、子の声を聞く時が来るのです。
そのとき、善を行った者はよみがえっていのちを受けるために、悪を行った者はよみがえってさばきを受けるために出て来ます。"
ヨハネの福音書 5章24~29節
"また私は多くの座を見た。それらの上に座っている者たちがいて、彼らにはさばきを行う権威が与えられた。また私は、イエスの証しと神のことばのゆえに首をはねられた人々(信仰者)のたましいを見た。彼らは獣もその像も拝まず、額にも手にも獣の刻印を受けていなかった。彼らは生き返って、キリストとともに千年の間、王として治めた。
残りの死者(不信仰者)は、千年が終わるまでは生き返らなかった。これが第一の復活である。
この第一の復活(信仰者の復活)にあずかる者は幸いな者、聖なる者である。この人々に対して、第二の死(不信仰者の復活)は何の力も持っていない。彼ら(信仰者)は神とキリストの祭司となり、キリストとともに千年の間、王として治める。"
ヨハネの黙示録 20章4~6節
"ゲヘナでは、彼らを食らううじ虫が尽きることがなく、火も消えることがありません。"
マルコの福音書 9章48節
⭐︎「あの世で先に死んだ家族や友人と再会する」。
という死後の世界を思い描いている日本人は多いかと思いますが、罪人のまま死んだのであれば、その再会は到底叶いません。
ゲヘナは真っ暗闇であり、一人一人が個別に淡々と、ただただ焼かれ続ける場所だからです。
例え近くに知り合いがいたとしても、互いに顔を見ることは出来ず、そもそもその苦しみの中では再会を喜ぶ余裕は一切持てないはずです。
神の愛と恵み、臨在から一切切り離された場所、それが「ゲヘナ(最終的な地獄)」なのです。
⭐︎以上のことが、神を無視して来た罪人の末路なので、クリスチャンはそこから救われる唯一の道である「イエス・キリストの福音」を、誤解されても、侮辱されても、迫害されても、時に命を失っても、宣べ伝えているのです。
★9:火の池
⭐︎ゲヘナの状態を描写している言葉。
⭐︎本来は悪魔、堕天使のために用意された場所。
(↓#21「地獄は誰のためにある?」を参照)
⭐︎罪が解決されないまま死んだ人間(不信仰者)は、その罪によって、悪魔、堕天使と同じように、火の池による裁きを受けてしまう。
★10:アブラハムのふところ
⭐︎ラビ(ユダヤ教の教師)の文書には頻繁に登場するらしいが、聖書では新約聖書の1箇所にのみ登場する。
"金持ちが、よみで苦しみながら目を上げると、遠くにアブラハムと、その懐にいるラザロが見えた。"
ルカの福音書 16章23節
⭐︎旧約聖書の時代において、パラダイスの別の呼称。
パラダイスの状態を、ユダヤ人にとってそれが「死後の祝福の場所」であることがわかるように、比喩的に表現している。
(ユダヤ人の先祖、父アブラハムの懐に抱かれるような平安に満ちた場所、という意味)。
シオール(よみ)の中の信仰者のみが留まる場所である。
⭐︎比喩的に表現された場所であるが、実際にそこにはアブラハムがいる。
信仰者は肉体の死後も、同じ信仰者と平安な時を謳歌することが出来ることを示している。
★11:パラダイス
⭐︎「王の庭」「庭園」を意味するペルシャ語「パイリ・ダェーザ」に由来する。
それがギリシャ語「パラデイソス」となり、今日の英語「パラダイス(paradise)」となった。
⭐︎信仰者の永遠の住まいである。
⭐︎イエス・キリストが復活し、昇天するまでは、パラダイス(アブラハムのふところ)はシオール(よみ)の中にあった。
今はパラダイスは天(第3の天)にある。
将来、千年王国が終わり、今の宇宙が新天新地へと造り替えられると、パラダイスは「新しいエルサレム」に存在することになる。
"耳のある者は、御霊が諸教会に告げることを聞きなさい。勝利を得る者(信仰者)には、わたしはいのちの木から食べることを許す。それは神のパラダイスにある。』"
ヨハネの黙示録 2章7節
★12:天
⭐︎聖書における「天(Heaven)」には、3つの異なる空間、場がある。
(1)第1の天:大気圏、飛行機や鳥が飛ぶ、私たちが普段目にする空間。
"神は仰せられた。「水には生き物が群がれ。鳥は地の上、天の大空を飛べ。」"
創世記 1章20節
(2)第2の天:宇宙空間、太陽、月、天体が運行する空間。これも目にすることが出来る空間。
"神は仰せられた。「光る物が天の大空にあれ。昼と夜を分けよ。定められた時々のため、日と年のためのしるしとなれ。
また天の大空で光る物となり、地の上を照らすようになれ。」すると、そのようになった。"
創世記 1章14~15節
(3)第3の天:神が臨在される空間。
"私(パウロ)は誇らずにはいられません。誇っても無益ですが、主の幻と啓示の話に入りましょう。
私はキリストにある一人の人を知っています。この人は十四年前に、第三の天にまで引き上げられました。肉体のままであったのか、私は知りません。肉体を離れてであったのか、それも知りません。神がご存じです。
私はこのような人を知っています。肉体のままであったのか、肉体を離れてであったのか、私は知りません。神がご存じです。
彼はパラダイスに引き上げられて、言い表すこともできない、人間が語ることを許されていないことばを聞きました。"
コリント人への手紙 第二 12章1~4節
⭐︎パラダイスは、今は「第3の天」にある。
「死んだら天国に行く」という言い回しは、大雑把ではあるが、表現としては間違ってはいない。
ただし、「ふわふわの雲の上で、天使たちがハープを弾き鳴らしている」という天国のイメージは、あまり聖書的ではないと私は思います。
★13:新しいエルサレム
"また私は、新しい天と新しい地を見た。以前の天と以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。
私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとから、天から降って来るのを見た。
私はまた、大きな声が御座から出て、こう言うのを聞いた。「見よ、神の幕屋が人々とともにある。神は人々とともに住み、人々は神の民となる。神ご自身が彼らの神として、ともにおられる。
神は彼らの目から涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、悲しみも、叫び声も、苦しみもない。以前のものが過ぎ去ったからである。」
すると、御座に座っておられる方が言われた。「見よ、わたしはすべてを新しくする。」また言われた。「書き記せ。これらのことばは真実であり、信頼できる。」
また私に言われた。「事は成就した。わたしはアルファであり、オメガである。初めであり、終わりである。わたしは渇く者に、いのちの水の泉からただで飲ませる。
勝利を得る者は、これらのものを相続する。わたしは彼の神となり、彼はわたしの子となる。
しかし、臆病な者、不信仰な者、忌まわしい者、人を殺す者、淫らなことを行う者、魔術を行う者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者たちが受ける分は、火と硫黄の燃える池の中にある。これが第二の死である。」"
ヨハネの黙示録 21章1~8節
⭐︎今の時代はまだ、「新しいエルサレム」は「第3の天」に存在している。
"しかし、あなたがたが近づいているのは、シオンの山、生ける神の都である天上のエルサレム、無数の御使いたちの喜びの集い、"
ヘブル人への手紙 12章22節
⭐︎今は「新しいエルサレム」はパラダイスと並列するように「第3の天」の存在しているが、将来、千年王国が終わり、宇宙が一切造り替えられると、今の「第3の天」はそのまま新天新地となり、その空間の中に「新しいエルサレム」が具体的な都として現れ、更にその都の中がパラダイスとして機能する、と思われる。
⭐︎新天新地において、「新しいエルサレム」は都として、具体的、物質的な形を取って現れる。
"また、最後の七つの災害で満ちた、あの七つの鉢を持っていた七人の御使いの一人がやって来て、私(ヨハネ)に語りかけた。「ここに来なさい。あなたに子羊の妻である花嫁を見せましょう。」
そして、御使いは御霊によって私を大きな高い山に連れて行き、聖なる都エルサレムが神のみもとから、天から降って来るのを見せた。
都には神の栄光があった。その輝きは最高の宝石に似ていて、透き通った碧玉のようであった。
都には、大きな高い城壁があり、十二の門があった。門の上には十二人の御使いがいた。また、名前が刻まれていたが、それはイスラエルの子らの十二部族の名前であった。
東に三つの門、北に三つの門、南に三つの門、西に三つの門があった。
都の城壁には十二の土台石があり、それには、子羊の十二使徒の、十二の名が刻まれていた。"
ヨハネの黙示録 21章9~14節
"また、私に語りかけた御使いは、都とその門と城壁を測るために金の測り竿を持っていた。
都は四角形で、長さと幅は同じである。御使いが都をその竿で測ると、一万二千スタディオンあった。長さも幅も高さも同じである。
また城壁を測ると、百四十四ペキスあった。これは人間の尺度であるが、御使いの尺度も同じであった。"
ヨハネの黙示録 21章15~17節
⭐︎「新しいエルサレム」は、長さも幅も高さも、全く同じ立方体の形を取っている。
一辺の長さは12,000スタディオン(2,200Km以上)である。
⭐︎またその都とは別に、城壁が置かれている。
城壁の高さは144ぺキス(約65m)である。
その城壁は、神の確かな守りと、「神の方法によらなければ救われない:資格のない者は都に入れない」ことを象徴している。
⭐︎城壁には12の門があり、天使がそのそれぞれを守っている。
そして12の門のそれぞれには、イスラエル12部族の名前が記されている。
それは「救いはユダヤ人からもたらされている」という神のご計画を、都の住民が永遠に記憶するため。
イスラエル人と異邦人の区別、立場の違いは永遠に変わらないのである。
また「イスラエル12部族の名前」が記されている、という事実は、旧約聖書時代の信仰者たちも都の住民であることを示している。
⭐︎城壁の土台石にも重要なメッセージがある。
土台石は都の永続性を表しており、そこにはペテロやヨハネを代表とする「子羊の12使徒の12の名」が記されている。
それは「教会は使徒と預言者という土台の上に建てられた」ことに繋がっている。
そしてその事実は、新約聖書時代の信仰者たちも都の住民であることを示している。
どのような時代の者であれ、神の信仰者であれば、その人は都の住民なのである。
⭐︎「新しいエルサレム」には一切の罪、また罪の結果である死、そこから生まれる悲しみ、苦しみ、涙が何一つもない。
全宇宙が神のご栄光で満たされており、天使、人間、全ての神に造られたものは、その栄光の中で安らぎ、神を賛美する。
神のご計画は全て成就する。
その姿が将来、確実に実現することを聖書は掲示している。
それこそが、神が聖書を人間に対して送られた目的(神の啓示の目的)であることがわかる。
——————————————————————————————————
⭐︎「個人的終末論」を取り上げながら、最後は「神のご栄光」に帰結することに、クリスチャンとして、神の奥義の片鱗に触れることが出来たような喜びを感じます。
私たちは、クリスチャンでも(いや、ある意味クリスチャンだからこそ)、聖書に向き合う時はついつい「人間中心」に読んでしまい、「人類の救い」が神のご計画の全てであるかのように錯覚してしまいます。
しかし、創世記から黙示録まで聖書を一貫して辞儀通りに解釈し、総論的な視点を持てば、(もちろん、人類の救いは神のご計画の中で大きなウェイトを占めていることは間違いないことですが)、「神の深淵なるご計画が人類の救いのみで帰結する」という結論は出てこないことは明らかです。
「神は人類のみならず、天使、イスラエル、異邦人諸国、動植物界、被造物世界のそれぞれ全てにご計画を持たれている。それらが何一つ欠けることなく全て成就することによって、神のご栄光がこの宇宙に現れる。そのゴールに向かって、聖書の啓示は展開されている」。
⭐︎聖書を通して神の言葉が人類に啓示された、その目的の中心は、あくまで「神のご栄光」が被造世界に顕現することです。
このことに目が開かれた時、それまでとは別次元の深い感動と祝福を体験することができ、またそれは神が全人類に知ってもらいたいと願っておられることであると、私は確信しています。
今回は少しでもそのことを共有することが出来たのであれば、幸いです。
⭐︎「個人的終末論」に関しては、とりあえず、一旦はここで終わりにします。
正直、まだご紹介し切れていない要素もあるのですが、それらはまたいつか取り上げることにして、次回からは別のテーマに移りたいと思います。
※参考文献:2012年フルクテンバウム博士セミナー「聖書が教える死後の世界」(ハーベストタイム・ミニストリーズ)
いいなと思ったら応援しよう!
