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イブキちゃんの聖書入門 #7「罪の深みにハマルティア」


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「罪の報酬は死です。しかし神の賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。」
(ローマ人への手紙 6章23節)

この聖書箇所には、聖書が示す「良い知らせ」「悪い知らせ」の両方が端的に語られています。

★前半部分は「悪い知らせ」、後半部分が「良い知らせ」です。

ところで、日本語の罪という言葉は、一説には「包み込む」という言葉がルーツとなっていると言われています。包んで覆い隠してしまうことを罪だと考えるならば、それはそれでどこか聖書的な含蓄があるように感じます。

一方で、この箇所を始め、新約聖書で「罪」と日本語に訳されているギリシャ語は、そのほとんどが「ハマルティア」という言葉です。
※(新約聖書はギリシャ語で、旧約聖書は一部を除いてヘブライ語で書かれています)。

その「ハマルティア」の主な意味は、「的外れ」です。
「的を外してしまっている状態」が、聖書では「罪」とされているのです。
「宗教的な戒律を守れないこと」が罪なのではありません。聖書が示す「罪」とは、そのような限定的で表面的なことではなく、もっと普遍的かつ、根源的なことなのです。

⭐︎では、その「的」とは何でしょう?一体何の「的」を外しているのでしょうか?

それは「自らの造り主である神」という的です。

創造主によって造られて、生かされているにも関わらず、その神を無視していること、自分が的の中心となっている生き方を、聖書は「的外れ=罪」である、と断言しているのです。

その「的外れ」の具体的な現われが、偶像礼拝です。
偶像礼拝とは、いわゆる「宗教的なくくりの中にある特別な行為」ではありません。仏像や、木や石でできた像を拝んでいる状態のみを指しているのではありません。自分の造り主である神以外の何かに、心が奪われている状態を聖書は「偶像礼拝」と位置付けています。
それはある人にとってはタバコやアルコール、嗜好品かも知れません。またある人にとっては、お金や仕事、ステータスかも知れません。またある人にとっては友人や恋人、助言者、家族かも知れません。
とある元麻薬中毒者であった牧師がテレビでこのように語っていました。
「イエス・キリストに中毒にならない限り、人は何かしらの中毒である」と。
彼のその言葉を借りれば、偶像礼拝は「中毒症・依存症」と言い換えることもできます。
ちなみに、クリスチャンにとっても偶像礼拝は無縁ではありません。「キリスト教」や「教会」という宗教組織が、イエス・キリストよりも大切になってしまった時、それらはクリスチャンにとっての偶像となるのです。

どのようなことにせよ、「自分の神は自分で決める」という状態、神以外の何かを自分の「神々」に据えて、それに考えや行動が支配されてしまっている状態を、聖書は、「的外れ」であり、「偶像礼拝」であり、「罪」である、としています。
その基準で行けば、全人類は例外なく罪人です。
現に私たちの周囲を見渡せば、キリストを除外し、キリスト以外の何かに自分の人生の救いを見出そうとする姿こそが「普通の姿」とされているではありませんか。

そして、この箇所でも示されている通り、その的外れな生き方の結果、その人が受けるべき報酬は、「死」なのです。

ここでの「報酬」は「オプソォニオン」というギリシャ語です。
これは「将軍が兵士に支払う給与」という意味があり、いわば日当です。

「生まれながらの人は、的外れ(罪)という主人のために毎日働く兵士(奴隷)であり、毎日『死』という日当が支払われている」。

それがこの聖書箇所の前半のメッセージであり、「悪い知らせ」です。

★一転して後半部分は「良い知らせ」が語られています。

「神の賜物」の「賜物」とは、ギリシャ語で「カリスマ」です。
一時期は「カリスマ美容師」や「カリスマ教師」など、「人気と実力を兼ね備えた人」を形容する言葉として「カリスマ」が使われ、日本語としての市民権を得たような感がありますが、本来は「聖書の神が与えてくださるプレゼント」を意味している言葉なのです。

プレゼントであるならば、それは無償の贈り物です。
そしてその贈り物の中身は、「主キリスト・イエスにある永遠のいのち」です。

ここに前半部分との対比があります。
神からの無償の贈り物を受け取った人は、誰であれ、無代価で、永遠のいのち、天国が約束されているのです。滅びゆく偶像ではなく、永遠の神がその人の「主人」となり、肉体の死後はその永遠の神と共に、永遠に豊かな、本当にあなたが求めていた満たしのある人生を歩むことができるのです。

この無償のプレゼントは今、全ての人の前に差し出されています。
繰り返しますが、このプレゼントは無償です。
受け取る側である私たち人間に対して、行いや努力、支払うべき何かは一切求められていません。
プレゼントの代金は既に神の側で支払われています。
私たちがすべきことは、ただ「信頼して受け取る」ということのみです。
福音(良い知らせ)の内容を信じる、ということによって、ただそれだけによって、神からのプレゼントを受け取ることができるのです。

⭐︎福音とは、

罪のない神であるイエス・キリストが、あなたが本来受けるべき罪の報酬である死を、あなたの身代わりとなって、罪そのものとなって、十字架に自らかかることによってその身に受けてくださった、ということ。
そしてキリストは墓に葬られた後に、約束通り、3日目に復活した、ということ。

復活によって、神は死に勝利されること、またその神が遣わした御子キリストを信じる者もキリストと同じように復活することが証明されました。

このキリストの福音(良き知らせ)を信じるのであれば、どのような人でも、もはや死に飲み込まれてしまうことはありません。
やがて滅びく行く偶像を神に見立てて、行先の分からない死後の恐怖を何とか紛らわそうとする努力も、もはや必要ありません。
肉体は死んでも、その霊の帰るところが明確であり、いずれ肉体も完全な形で復活し、永遠の神と共に永遠の平安を楽しむことが約束されているからです。

人は「自分が仕えているもの」と運命を共にしてしまいます。
この世の滅びゆく何かに仕えているのであれば、同じように滅んで行きます。しかし永遠の神に仕えるのであれば、永遠の神と共に生きるのです。

クリスチャンとは「自分の仕えるべき主人がチェンジした人々」です。
​自分の造り主以外のものに仕えていることが「的外れ」であった、と神の恵みによって知ることができた人々です。
今、あなたを支配しているあなたの「主人」は誰ですか?


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