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イブキちゃんの聖書入門 #2「何で僕たちは生きている?」
「あなたの指のわざである、あなたの天、あなたが整えられた月や星を見るに、人とは何者なのでしょう。あなたが心に留められるとは。人の子とはいったい何者なのでしょう。あなたが顧みてくださるとは。」
(詩篇 8篇3~4節)
この聖書の言葉は、今から約3000年ほど前、イスラエルのダビデという王様が詩の形で残したものです。
ダビデは王様となる前は、大自然の中で羊飼いとして生活をしていました。ダビデは空や天体を見上げて「自分の存在とは何か」を思い巡らせていました。
ここでダビデが語りかけている「あなた」とは、宇宙の何から何まで、その一切を全てを造られた本当の神、創造主のことです。
ダビデはその神が、小さな人間存在を広大な宇宙よりも遥かに価値があるものとされていることに驚き、感動しています。実に聖書の神は、人間が自身の創造主を認識し、その創造主をほめたたえることができるようにと全宇宙を運行し、整えておられるのです。
自動車がメーカーによって人間を乗せるために作られたように、全ての「造られたもの」にはそれを「造った存在」があり、目的があります。
意図と目的をもって万物を造られた神、人間一人一人を愛をもって造って下さった神を知っていたダビデは「自分の存在目的」を知っていたのでした。
ダビデは「自分は神の喜びのために生かされている」という確信と平安を持っていたのです。
現在のところ、人間存在の起源を説明しようとすれば、進化論か創造論しかありません。
どちらも、宇宙の誕生や人間の起源について、過去に一度限り起こったことについて語っていますが、どちらも、それを誰もが目に見える形で証明することは出来ません。
どちらも「信仰」の世界なのです。
しかし聖書の内容は科学的な発見と矛盾しません。また「創造主は存在する」という確かな情報を提供しています。
何よりも聖書には希望があります。
「自分はどこから来て、どこへ行こうとするのか」。
その問いに対する答えがあります。
進化論は「あなたは猿と共通の先祖らしきものから長時間かけて進化した偶然の産物に過ぎない」と言います。
一方で聖書は「あなたは神によって目的を持って造られた神の作品だ」と語りかけます。
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