イブキちゃんの聖書入門#39 「ノアの箱舟は本当にあったの?⑥ 箱舟の設計(前編)」
★巨大なコンテナ
⭐︎今回から「ノアの箱舟」がどのような設計のもとで出来上がったのか、前編後編の分けて解説してみたいと思います。
⭐︎「ノアの箱舟」と聞くと、どのようなものをイメージしますか?
多くの方は、もしかしたら木造の、ややデフォルメされた船のような形をしたものを想像されるかも知れません。
実際に、子供向けの漫画の聖書物語や絵本でも、「ノアの箱舟」は上にあるような「船型」として描かれている場合が多いように思えます。
おそらく「船」としてのニュアンスをよりわかりやすく伝える為に、そのような描写を採用しているのでしょう。
しかし、聖書の記述から忠実に「ノアの箱舟」の形を再現するならば、それは現代の私たちがよく知っている船の形状をしたものではなく、長方形のまさに「箱型の物体」となります。
(厳密に言えば、長さは約135メートル、幅は約22.5メートル、高さは約13.5メートルのコンテナのような長方体です)。
そもそも「ノアの大洪水」の洪水は世界規模であり、「箱舟」は「舟」と言ってもどこか目的地へ向かって航海する必要はなく、ただ大水の上を転覆せずに浮かんでいれば良い代物です。
上記のサイズのような「巨大な箱型」であれば、起き上がり小法師のように横に傾いても元に戻ることが出来ます。
「ノアの箱舟」は船型である必要は全くなく、むしろ純粋に「箱型」であることが求められていたのです。
⭐︎「箱舟」(英:Ark)はヘブライ語で「テイバー」(תֵּבָה)です。
これは「船」ではなく「箱」を指す言葉で、エジプト語から借用したものであると言われています。
大洪水からノアとその家族を救った「箱舟」に、「テイバー」という言葉を当てはめたのは創世記の著者である、「モーセの十戒」で有名なモーセであり(もちろん神の導きが人間の著者の背後にあり聖書は完成されたのですが)、そのモーセの個人的な心情が「テイバー」には込められているように思えます。
★モーセのかご
⭐︎そのことを解説する為に、ここで簡単にモーセのプロフィールをご紹介します。
モーセは今から約3,500年前、エジプトで奴隷状態となっていたイスラエル人の夫婦の間に生まれました。
モーセが誕生した当時のエジプトの王(ファラオ)は非常に残虐な人物で、イスラエル人を民族的に抹消しようと、男の赤ん坊が生まれたら、その子はナイル川に投げ込んで殺せとの命令を出していました。
しかしモーセの両親はとてもそのような命令に従うことは出来ず、3ヶ月間はモーセを隠していたのですが、隠しきれなくなり、遂にモーセを防水加工を施したパピルス製のかごの中に入れてナイル川の岸辺に置きました。
この「ナイル川の岸辺」とは、ファラオの娘が毎日水浴び(宗教的な儀式)に来る場所で、もしかしたら父王とは違い慈悲深い人格であると評判のその王女に見付けてもらえるかもしれない、という期待がモーセの両親にあったのではないかと思われます。
その両親の「賭け」は的中しました。
王女はナイル川の岸辺に浮かぶパピルス製のかごを発見し、その中に眠るモーセを取り上げました。
その後、モーセは姉ミリアムの機転で一旦は両親の元に戻されますが、大きくなった時(5歳前後)、彼はファラオの娘の元に連れて行かれ、王女の養子として育つことになりました。
モーセはイスラエル人でありながら、エジプトの王族として育てられたのです。
そしてモーセは大きな挫折を味わったものの、神からイスラエル解放のリーダーとして立てられて、「出エジプト」を成功させ、晩年にモーセ五書(創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記)を書き残し、人類歴史に偉大な功績を遺したのです。
⭐︎そのような経緯から、モーセは当然、エジプトの言葉をよく知っていました。
モーセは、赤子の自分が入れられていたパピルス製のかごを「テイバー」(箱)と呼びました。
そして創世記を書いた際に、モーセは「箱舟」にもそれと同じ言葉である「テイバー」を採用したのです。
「ノアも自分も、神の恵みによって水から取り上げられた」
赤子だった自分が水死から救われた個人的情景と、ノアが大洪水から救われた歴史的状況がモーセの中で結びついたことは確かだと思います。
「水に浮かび救いをもたらした箱」という共通点を、モーセはパピルセ製のかごと箱舟の間に見出したのです。
そしてその背後で働かれた神の愛、恵みの業を讃えたに違いありません。
★「わたしはわたしである」
⭐︎神はモーセをイスラエルの解放者として任命する際に、彼に対して「わたしは『わたしはある』という者である」と自己紹介されました。
これは「わたしは永遠不変の創造主であり、それ以外の何者でもなく、ずっとあなたと共に居続ける者である」という意味です。
更にそれはモーセを始めイスラエル人にとって、彼らの先祖であるアブラハム、イサク、ヤコブの前に現れ、その先祖たちと契約を結び、イスラエル民族の歴史そのものを創られた存在である、真の神である、という意味合いがあります。
「『アブラハム、イサク、ヤコブの神』こそは全ての偶像の神々に勝る真実の神である」
という民族的認識を持っているイスラエル人のモーセにとって、この神の自己紹介、顕現は本来的に畏怖すべきものであり、また言葉にならない感謝と感動を覚えるものであったに違いありません。
幼き日から、口伝えで親から、周囲から聞かされ、先祖から語り継がれて来た「その神」が、今、個人的に、自分に対して現れ、語って来ておられるのです。
⭐︎私(大城TED)はイスラエル人ではないですが、私にもこのモーセと似た体験をしたことがあります。
まだクリスチャンになった間もない頃(このモーセの記事も知らなかった頃)、ある時に、私は「聖書の神様とはどのようなお方なのだろう」と何となしに思いを巡らせていました。
すると突如、「わたしはわたしである」という声が私の頭の中に響いて来たのです。
「わたしはあなたの造り主であり、あなたと共にずっと居た。あなたが幼い時も、喜んでいた時も、苦しんでいた時も、わたしを無視していた時も、ずっと共に居た。あなたは既にわたしのことを知っているではないか。そのわたしである」
そのようなメッセージを私は確かに受け取り、何とも表現のしようもない大きな感動に包まれました。
モーセも恐らく同じように、その神の言葉を受け取った時に、民族的な背景から来る畏怖や賛美と同時に、パピルス製のかごに入れられて助かった時を始め、これまでの彼個人の人生のあらゆる場面がフラッシュバックし、想起されたと思います。
いかなる時にも一番近い場所で見守り、共に居てくださった、そしてこれからも共に歩んでくださる神の確かな愛を実感したことでしょう。
「アブラハム、イサク、ヤコブの神」の真実さを、個人レベルで実感したことでしょう。
⭐︎聖書の神は、あなたがその存在を知らなくても、無視をしていても、あなたと共におられ、あなた以上にあなたのことを知っておられ、あなたの本当の幸せを願い、あなたを永遠の滅びから救おうとされておられるお方です。
その神の愛の最大の現れが、「イエス・キリストの福音」です。
⭐︎「イエス・キリストの福音」とは、
1:罪のない神であるイエス・キリストがあなたの罪を負って十字架につき、あなたの罪の裁きを代わりに受けて死なれた、あなたの罪はキリストが既に精算された、ということ。
2:十字架で死なれたキリストは墓に葬られた、あなたの罪は既に墓に葬られた、ということ。
3:しかし神は死では終わらず、キリストは3日後に復活された、ということ。
この福音を受け取り、心から信じることのみが、このあなたの造り主である神との関係を回復させる唯一の道なのです。
あなたも今、この「イエス・キリストの福音」を信じ、あなたの魂の作者である神と共に生きる幸せを手に入れてみませんか?
「わたしはわたしである」と私やモーセに対して語られた神は、今、あなたを招いておられます。
神は決してあなたを裏切りません。
⭐︎次回は箱舟の設計の具体的な内容について解説してみたいと思います。