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イブキちゃんの聖書入門 #8「キリスト馬鹿がクリスチャン」

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「私(パウロ)がどのようなことばで福音を伝えたか、あなたがたがしっかりと覚えているなら、この福音によって救われます。そうでなければ、あなたがたが信じたことは無駄になってしまいます。」
(コリント人への手紙 第1 15章2節)

⭐︎長らく、日本のクリスチャン人口は統計上、1%以下だと言われ続けて来ています。

これはクリスチャンが自由に活動することを許していない国々(例えば中国のクリスチャン人口は5%)と比較しても少ない割合であり、いかに日本において「自分はクリスチャンである」という自己認識を持って生きている人間が稀有な存在であるかを物語っています。

ただし、それはあくまで「自己認識している」人々の数字であって、果たして本当にその全員が、聖書的な意味でのクリスチャンであるとは限りません。
実際のところ、日本における「本当の意味でのクリスチャン」の人口は、0.5%にも満たないのではないでしょうか。

ここで恐らく多くの方が、「本当の意味でのクリスチャンって何?」と疑問を持たれるかと思います。
「本当の意味ではない、偽物のクリスチャンなんかいるの?そもそも、クリスチャンって何?」という疑問も次に湧いて来るかも知れません。

⭐︎クリスチャンとは何でしょうか?

その言葉の意味から、まず紹介したいと思います。

聖書の中で初めて「クリスチャン」(ギリシャ語で「クリスティアノス」)という単語が登場するのは、新約聖書の書物である「使徒の働き」の11章26節です。

「弟子たちはアンティオキアで初めて、キリスト者(クリスティアノス)と呼ばれるようになった。」

この「クリスティアノス」という言葉には、軽蔑の意味が込められており、簡単に言えば「キリスト馬鹿」というニュアンスがあります。
当時(紀元1世紀中頃)のイエス・キリストを信じた人々が、あまりにもキリストのことばかりを言うので、呆れた外部の人々がそのように呼んだのです。

しかし、本来その不名誉であるはずのそのあだ名が、次第に、ごく自然な形で、キリストの弟子であることを示す正式な名称となりました。
周囲が呆れれば呆れるほど、馬鹿にすればするほど、キリストの弟子にとって、それはむしろ自分たちがいかにキリストを愛しているかの証明になるからです。

⭐︎さて、もう一度改めて、クリスチャンとは何かを考えてみましょう。

クリスチャンとは、キリスト教国やキリスト教の家庭に生まれた人たちのことでしょうか?
それとも努力してキリスト教に入信した人たちのことでしょうか?
それとも、自分がクリスチャンだと思うなら、それでクリスチャンなのでしょうか?

聖書の論理に従って答えるならば、本人の主観や行い、また家庭環境が、その人を「本物のクリスチャン」にすることはありません。
聖書は明確に「人がクリスチャンになる」条件を示しています。
その条件をクリアしない限り、その人は例え聖職者であっても、著名なキリスト教徒であったとしても、「本物のクリスチャン」ではないのです。

それをわかりやすくするために、逆に「よく世間から誤解されているクリスチャンになる条件」の一部を以下に示したいと思います。

・毎週、教会に通う。
・洗礼を受ける。(※1)
・神の存在を認める。(※2)
・キリスト教入門試験のようなテストにパスする。
・仏壇や神棚を処分する。(※3)
・一定額を教会に献金する。
・教会が決めた戒律を守る。
・周囲に自己申告をする。
・「神のような存在に出会う」など、超自然的な体験をする。etc...

もしあなたが、以上のようなことを「クリスチャンになる条件」だと思っておられたのならば、それはキリスト教とされる組織が人々を「教会のメンバーにする」ためだけにこしらえて来た「誤った伝統」に由来する誤解であり、聖書の正しい理解から来ているものではありません。

「誤った伝統」とは「クリスチャンになる=行いによって教会組織に加入する」というものです。

いくら熱心に、努力して、教会組織が提示する条件に達して、教会の一員になったとしても、例えそれで内外から「あなたクリスチャンですね」と認められたとしても、魂の救いを得ていなければ、その人はあらゆる側面から見ても、「本当の意味でのクリスチャン」ではないのです。
聖書は「教会組織の一員になった人」をクリスチャンだと言っているのではなく、「イエス・キリストの福音を信じて魂の救いを得ている人」をクリスチャンだと言っています。

先に紹介したアンティオキアで初めて「キリスト者」と呼ばれたキリストの弟子たちも、教会組織の一員である以前に、何よりも福音を信じ、魂の救いを得ている人たちでした。

(※1)洗礼は重要ですが、それは福音を信じて救いを得た人が受けてこそ意味があるものです。洗礼は救いの条件ではありませんし、儀式的に洗礼を受けても、その人はクリスチャンではありません。

(※2)神の存在を認めているだけではクリスチャンではありません。福音への理解、信頼がなければ、その人は「救いを得た本当のクリスチャン」ではないのです。

(※3)仏壇や神棚に手を合わせることは確かに偶像礼拝であり、神に喜ばれるものではありませんが、それらを処分しなければクリスチャンになれない、とは聖書は教えていません。もしそうであれば、日本人はおろか、世界中、誰一人も救われないことになってしまいます。イエス・キリストを神として受け入れるまでは、全人類は例外なく偶像礼拝者なのです。偶像礼拝の真っ只中にいる人でも救われる、それが聖書のメッセージです。人は救いを得てから、自ずと偶像を処分できるようになって来るのです。

​もう既におわかりかとは思いますが、聖書が提示する「クリスチャンになる条件」とは至ってシンプルです。
それは「福音を信じること」。ただそれだけです。

⭐︎福音とは、

罪のない神であるイエス・キリストが、あなたが本来受けるべき罪の報酬である死を、あなたの身代わりとなって、罪そのものとなって、十字架に自らかかることによってその身に受けてくださった、ということ。
そしてキリストは墓に葬られた後に、約束通り、3日目に復活した、ということ。

この福音を信頼することで、その人のそれまで死んでいた霊の領域が生き返ります。
その人の内側が、一瞬にして、全く新しいものへと造り変えられるのです。
それをクリスチャンは「魂の生まれ変わり」、または「ボーンアゲイン(新生)」と呼んでいます。
ボーンアゲインした人々が、「本当の意味でのクリスチャン」なのです。

人は福音によって生まれ変わったならば、「キリスト馬鹿」であることを誇りとするようになります。
努力して宗教組織に従おうとするのではなく、喜びをもって、自発的にイエス・キリストの足跡を追って行こうとします。
その想像もできないほどの素晴らしい世界が、今、あなたにも無償で差し出されています。

ボーンアゲインしてみませんか?


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