見出し画像

吐瀉物とわたし──③花の金曜、地獄ゆき快速篇

華の金曜日、略して”華金”はまるで不死鳥のような言葉である。

一度隆盛を極めたのち死に向かったものの、平成末期を謳歌した若者によって蘇生した”華金”は、かのプレミアムフライデーなどという「横文字使っている俺たちカッコイイ」的なかほりがする単語の数千倍耳馴染みが良い。

無論、金曜の夜は街の様子も電車の様子も普段とはちょっと違う。

繁華街では首元を緩めた親父たちが、千鳥足でガハハと笑う。中堅社員らしき男性と後輩らしき女性は親密な距離を保ちながら何処かに消える。時折喧嘩もあれば、ちちくりあう男女がネオンに揺れることもある。そんな人間の欲が露わになる数時間が、私は好きだ。

そんな理性が解けた非日常的空間は、ときに未曽有の事態を引き起こす。

金曜、21時、つくばエクスプレスは走り出すよ

会社帰りのつくばエクスプレスのことだった。予定退勤時刻よりも遅れて退勤した私は、当時住んでいた茨城県・つくば市の小さな1kアパートへ帰るべく、つくばエクスプレス(以後TXと表記する)に飛び乗った。

時刻は21時から22時だっただろうか。乗車率120%ほどの車内には、酒気を帯びており、赤ら顔で目を瞑る客が大勢乗っていた。発車ギリギリに飛び乗った私はロングシートの前に立った。始発駅の秋葉原から列車はゆっくり走り出す。

平日夜のTXは秋葉原を出て北千住まで、ひたすら人間が乗車してくる仕組みとなっている。そこから南流山、流山おおたかの森を経て徐々に下りて行き、守谷で大半が降車し、終点つくば駅へ到着するのだ。

その日も北千住を過ぎたTXは、それなりの量の乗客を詰め込んで北へ北へ向かっていた。そして約束されたように”その時”が来たのである。

南流山駅の手前、徐々に列車が減速しているときだった。私の右斜め前で居眠りをしていた男性が、何かに憑依をされたように引きつけを起こす。通常の挙動とは乖離した様相に、私は思わず凝視してしまった。これは、誠によろしくない、アノ…ええと……。

刹那、彼の口からはブワッと吐瀉物が漏れ出でたのであった。

吐瀉物というものは、その場の空気を一気に変化させることのできる凄まじい物体であることよ、私は珍妙なほど冷静にそう思った。

「ぎゃッ!!」「ひょあー」

かの男性の目の前に立っていた若い女性にブツは直接かかってはいなかった。しかし女性は表情の全身全霊をかけて嫌悪感を露わにし、その場から逃げるように去った。

唸れ、酒飲みの共感性羞恥!

何より悲惨だったのは、吐いてしまった張本人である。
ちらりと見たところ、おそらく20代後半だろうか、痩せ型の小柄な男性だった。かなり泥酔していたのであろう。彼は茫然自失とした様子で「なんじゃこりゃ…」と言わんばかりに、自身の両手を5秒ほど眺めていた。

次の瞬間、全ての状況を把握したのか、ぱっと顔面蒼白の顔面を罪悪感でいっぱいにした。しかし次の瞬間、こみ上げる吐き気の波に押されてこみ上げてくる不快感と格闘する苦悶の表情がそこにあった。

またたく間に七変化をする彼の表情は、見る分にはコロコロと面白いが、全て負の感情による变化であるため、自身の中の共感性羞恥が「ヤメチクリ〜〜」と悲鳴を上げる。わたくしも歴戦の阿呆酒飲み。人前での人の介抱経験は無論、自身の公開嘔吐の経験は星の数ほどある。

当シリーズの第2回も当方の失態に関するお話である。偉そうに書いているが、ただわたくしが人様の家にて恥をさらすだけのくだらん駄文だ)

自らの古傷が痛む、あの日の私を眺めているようだ……と、矢継ぎ早に心中にて叫び、この共感性羞恥の鐘が鳴り止む術を模索していた。ああ〜〜〜地獄、ここは地獄だ。な〜にが華金じゃボケ。チェイサー入れながら無理ない量を飲もうな諸君。あと空きっ腹はアウト、もし飲み過ぎたのならポカリを浴びるように飲もう。ほんっと。

そのとき地獄に、一筋の光が差す。

コミュニケーションとしての「吐瀉物」

──ふわり。

ひらひらと白い花弁のようにティッシュが宙を舞い、ふんわりと吐瀉物の上に乗った。

ティッシュは2枚、3枚とどんどん増えてゆく。まるで散り際の桜のような光景だ。ポケットティッシュを投げ込んでいるのは周囲の乗客。ティッシュを吐瀉物の上に投げ込むことで液体の流出を抑え事態の悪化を防ぐ運動が、瞬く間に波紋のように広がっていったのである。

誰かが声をかけたわけではないにも関わらず、「吐瀉物被害をここで食い止めなければ…!」という使命感を感じ、乗客らは自らの持ち物の中で吐瀉物に有効そうなアイテムを持ち出し協力する。「とても美しい光景だ」そう思い、私も自前のティッシュはらりはらりと投げた。

嘔吐した男性の隣に座っていた乗客は、すっとビニール袋を差し出した。2mは身長があろう黒人の男性は、ヘッドホンから流れるビートに体を揺らせながら、リズミカルにティッシュを放った。

地獄ゆきが決定してしまった車内では、「吐瀉物」という共通のコミュニケーションツールを用いた不思議な関係性が築かれつつあったのだ。そこに言語や人種、性別の壁など存在しない。私たちはただ、華の金曜日を共有する人間でしかなかった──。

でもまあ、所詮は汚いお話ですから

しかしゲロの話は所詮ゲロ。美談で終わらないのが醍醐味である。

背中を小さく震わせながら、吐瀉をした男性は守谷駅にて列車を後にした。目の前に残されたのは白いティッシュの山と、彼が座っていた席、そして吐瀉物が染み込んだ彼の両隣の空き席だった。まさに終戦といった光景だった。

すると、多くの乗客が降車する中、首元をダルダルに緩めた中年オヤジがふたり、フラフラと乗車してきた。そして彼らは言うのである。

「オッ、なんだぁこの席ガラッと空いてるじゃないかァ、はいはい座って座ってガハハ」

途端、私は稲妻に打たれたかのように反射的に顔を上げた。ちょうど目の前にいた女性と目が合う。彼女の顔も引きつっていた。ほんの数分だがビッグイベントを共有した我々乗客は、誰もが危機を察していた。ひとつの思念体のようだ。その瞬間、コトの顛末を知っている乗客はみな心で叫んでいた。

「オイオイオイ、その席は新鮮な吐瀉物がた〜っぷり染みこんだ場所だぜ……!!」


世の中とても残念なことはたくさんある。

私はとても残念で悲しいことだ、という感情と同時に、ここまで面白いことはあるのだろうか、と顔を伏せて込み上げる笑いと死闘していた。泥酔中年オヤジ二人組は、申し合わせていたかのようにブツが染み込んだシートの上にドサッと座った。

彼らはなおも「ダハハ」と笑い、自身のケツの下にあるものに気づく様子など全くなかった。

知らぬが仏、まさにこの言葉は今使われるべきものだろう。周りを見ると、誰もが他所を向いて口元をもごつかせ、笑いを抑えていた。


「驚かせた」という事実に満足感を得たいがためのフラッシュモブ、ツイッターでの大喜利のネタにしかならないプレミアムフライデー。

そんな”やらせ”的なイベントに核弾頭をぶち込むような非日常が、時折人生には起こる。華金の列車はそんな悲哀を乗せて、今週も走るのだ。

その日以来私は、必ずカバンにビニール袋を2枚以上入れて街を歩くようになった。


***


吐瀉物の話は尽きることない。

今後も『吐瀉物とわたし』はシリーズ化することは確実であり、喜怒哀楽様々な吐瀉が登場するので、どうぞご期待頂きたい。

もちろんあなたが食事中で「なんて汚らしいのでしょう」や、他者の嘔吐行為を「ネタにするなんて酷い人間だ」という意見はもちろんあろう。

しかし、私もまた人間。

己が今宵酩酊し道端に転がっていない確証など、どこにもないのだ。