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自我というのは後付けに過ぎない

こんにチワックス(チワワとダックスフンドのミックス)

涼風が恋しい今日この頃、皆様にはますますお元気でお過ごしと存じます。
まずは、暑中のお見舞いを申し上げます。


さて、自我というものは後付けに過ぎないと思います。

世の中には"お父さんとお母さんのもとにきてくれて"とか"お母さんのとこに生まれてきてくれて"とか、可愛らしくロマンチックな言い回しがありますけども、意識が先に飛んできて中に入る なんてことはありえるわけもなく──


人間をはじめ動物は、精子と卵子が結びつきなんやかんやあって母体から血肉を分け与えられ、そこから赤子作られ、産道を通って排出、そこから何十年もの月日を経て骨と肉が成形されていき、人間の成体が完成する、というめちゃくちゃ面白いメカニズムになっているわけじゃないですか、小さい受精卵からこの骨と肉がぐんぐん伸びる人体、不思議ですね

──精子と卵子が結びつくだけで、脳みそがゼロからできあがるようになってるのもスゴすぎる────

来世は猫になりたいだとか、生まれ変わったら猫になりたいとか、前世は猫だったとか、脳みそが動かなければ意識をもてないのに、自我が実態を持たず先に移動できているのはちゃんちゃらおかしい話になるんですよね

自分の今のこの自我というのは1度きりで、貴重なものであるけどなにも特別なことではなく、各脳みそに平等に自我は作られているだけに過ぎないと思うんです。

そう思うと、こうして今一人の人間として意識と自我を持って活動していることが不思議に思えてきますね。

そんなわけで今回は、前世とか後世なんて存在しない、というお話でした。

ほなね〜


敬具

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