noteリレー③ 島高バレー部と中田久美さんの回想(3) 山本ただお
そして、その島高バレー部の流れはしばらく続きました。2002年は公立校大会3位、2003年は公立校大会準優勝。しかし、良い事ばかりではありません。島高バレー部は宗教的である…という噂があったり、やり過ぎであるという批判がなかった訳ではありません。子供たちが急激に変わることを心配する声もありました。島内外の高評価の反面、そういう現実にも生徒は謙虚に耐えていました。その後、少子化でメンバーが集まらなくなり、私も呼ばれることはなくなりました。
しかし9年前、私にとって新たなスタートがありました。現キャプテンが小3の時、保護者の方から子供たちにバレーボールを教えて下さいと依頼を頂きました。私はもう一度その子たちに託してみようと思いました。9年後にもう一度島高バレー部を復活させるプロジェクトとして。
夢や希望、その楽しさ嬉しさをたくさん話しました。映像を通し大島高校の先輩たちはこんな困難を努力で乗り越えて強くなったんだよ、と話すと、目を輝かせて「カッコいい、私たちも先輩たちみたいになりたい…」と言ってくれました。
映像でバレーの世界標準を一緒に学び、ジャンプサーブもスパイクサーブもバックアタックも、ファーストテンポもスイングブロックもパンケーキも、すべて高校で春高目指すまでに出来るようにしておこうと練習を続けました。練習して出来るようになるのがとても楽しいようでした。
そして3年前、困難はありましたが、保護者やK子先生が協力してくれて私を島高バレー部に呼び戻してくれました。残念ながらコロナがあってなかなか思うようにはいきませんでしたが。
でもその状況によって、改めて前々キャプテン、前キャプテン、現キャプテンのすごさを知ることになります。
先代の先輩たちの努力を知っているからか、体育館が台風で壊れようとコロナで部活ができなかろうと、自分たちの意志で保護者に頼んで地域センター体育館を借りて練習を続けていました。体育館が取れない時はビーチに集まって自主練です。
そして、大会前は保護者やK林さんはじめ地域の方に練習試合を手伝ってもらい、少ない試合形式を必死に練習し、マネを入れて6人で公式戦に出れば文大杉並高校と激戦を展開し、その後の大会で駒大高校に勝つなど、本土のたくさんの方から称賛を頂きました。
現キャプテンはそのチームのエースとして。だけどそれも昨年度まで…。