【麻雀小言Vol.8】成長を焦らない
麻雀というゲームが1つの大きなコンテンツになりつつある現在、上手くなりたい強くなりたいと考える人が増えてきています。そうなると必然的に「コーチング」というものに対する需要が高まっていきます。
麻雀配信でもプロであったり、高段位の人であったりが未熟な人に対して指導する企画は頻繁に見られますね。
今回はそんな麻雀における「指導」や「成長」といったものの自分なりの捉え方を少しお話していこうと思います。
教えてもらったらすぐ強くなれる?
麻雀が強くなりたい。そう考え強者の教えを請い、日々勉強しているがなかなか強くなれない。そんなふうに感じている方もいらっしゃるのでは?
しかしこれは当然のことだと私は考えています。なぜなら麻雀における強さの9割ほどを占めるのは、「如何に基本が出来ているか」だからです。
基本とはなんぞや?という話ですが、ざっくりいくつか挙げると
・真っ直ぐ手を組み、テンパイしたらリーチを打つ。鳴き手は和了を目指す(手組・牌理)
・不利な状況ではベタオリする(守備)
・点棒状況判断に基づいた基本的な押し引き(点数計算含む)
といったところでしょうか。
えっこれだけ?と思うかもしれませんが、これらのことがしっかり出来ていたら、雀魂で言えば魂天まで到達できます。裏を返せば雀豪・雀聖辺りで足踏みしている人はこれらの基本が出来ていないということです。
しかしこの基本の部分は一朝一夕では身に付きません。自身の反復的な練習や鍛錬によって少しずつ能力を上げていくしか無いのです。だから誰かの指導を受けたら、即その効果が出るということはありえないのです。
スポーツで例えると基礎体力や筋力といった部分であり、いくら有名な選手やコーチの指導を受けたからといって、次の日目が覚めたらムキムキのアスリート体型になっていたなんてことはありえませんよね。それと同じことです。
では強者による指導というのは意味が無いのか?と問われれば、それは当然NOです。
麻雀に対する正しい考え方、能力として足りない部分に対する指摘、効果的な学習方法などは聞いておいて損になることは決してありません。要は「〇〇さんに教わっているのに~」という部分に甘えず、自己研鑽を続けることが重要なのです。
教える側も甘えない
さてここからは指導する側のお話。教わる側が成長を慌てないのと同様に、指導する側も当然急速な成長を求めてはいけません。
私個人の意見としては、未熟な打ち手に対してはどこまでも基本を徹底するように指導し成長を長い目で見守る他無く、それ以外の楽に上辺の真似だけ出来るような手法を伝えるのは指導する側のエゴ、自己満足だと思っています。
例えばこの記事で話したような内容です。
基本が出来ていないとは先程も述べたように、真っ直ぐ手を進められないことやベタオリが出来ないことです。そんな人に字を抱えろと言うは易しな単純な指導を施すとどうなるでしょう?
ただでさえミスが多い手牌進行が更に遅れ、字で守ろうとする意識だけが植え付けられキチンとしたベタオリも出来なくなります。字牌を持つことが目的化してしまう人もいるでしょう。
つまり基本が全く身に付かず、麻雀の上達のルートからどんどん逸れていってしまうのです。
でも麻雀コーチング配信などではこういった指導をよく見かけますよね?これは教えた側は「教えた感」を出せて、教わった側も「教わった感」を出せるからに他ならないからでしょう。要は「ワシが育てた」ごっこをしたい訳です。
表現が悪いのは承知で言いますと、要らない字牌を持つという手法そのものはバカでも出来ます。そんなバカでも出来ることをやらせて双方ともに得した気になれるのならばまあやっちゃいますよねということです。
別に字を抱えることに限った話ではなく、先切りだったり配牌降りだったり、手牌読み場況読みの話だったりもそうなのですが、その手法を取るだけなら簡単にできることや上辺を真似してやれちゃうようなことを有効活用するのは極めて難しく、だからこそそんなものを優先的に教えてくる人は指導者として信用しない方がいいのです。
勘違いしてほしくないのは、これらの挙げた要素や手法が麻雀において全く不要か?と言われるとそうではありません。ただそんな応用的かつ重要度が低い内容を、基礎が出来てない人に対して重点的に教えるのは教える側のエゴだということです。あなたは足し算が出来ない子供に指数関数を教えている人を素晴らしい教師だと思えますか?ということ。
まあ手厳しい言い方をしてきましたが、実際のところ教えている側にそんな意識が無いこともあるんですよね。上級者や実績を残した人にとっての当たり前が、学びの段階にある人にとっては当たり前でなかったりすることが往々にしてあります。
そういった視点だと、基本の部分の重要性を見落としていたり、或いは自分が打ち手として優位性を持てている要素を、基礎力の部分ではなくプラスαの部分に見出している人もいるのでしょう。
いずれにせよ私はこの主張を続けます。麻雀の指導において(というか麻雀に限った話でも無い気がするが)指導者側が出来ることはたかが知れていると。基本を身に付けるように促すことが重要であると。どこまでいっても受け手側の努力次第であると。そして短いスパンでの成長を求めるのはエゴであり甘えであると。
余談─指示厨よ、聞け─
さてここからは少し本筋から逸れたお話。といいつつめっちゃ長くなりそう。
別に麻雀に限った話ではないが、配信をしているとどうしても上から目線で初心者に指導してくる輩が現れる。彼らは指示厨や麻雀配信においてはコメ天などと呼ばれるが、そういった人たちに向けて少し伝えたいことがある。配信者的な目線も含むかもしれない。
どんなゲームや競技でもそうなのだが、「自分を中級者だと勘違いした初心者」ほど指示厨になりやすい。上級者からみると五十歩百歩なのだが、そういった人たちは自分のキャリアや到達したランクでマウントを取りたいのだろう。そして上には上がいるということも知らない。だからさもわかったような顔で物を申してくる。
麻雀は運の要素があるから更に厄介だ。物を申せるような実績じゃねーだろと思っていても、ブレや対局相手の性質のせいにして自分が優秀な打ち手であるというスタンスを崩さないコメ天も多い。
言葉を選ばずに言うと彼らは弱い。弱いからこそ麻雀的に筋が通らない主張をしてくるケースが多いのだが、もっと初心者の配信者さん目線だとそれが正しいか正しくないかなんてわからない。もっともらしい御託を並べていると凄い打ち手のように見えてしまうかもしれない。
当然彼らの言う事を聞いていても勝てるようになる訳がないし、そもそも自分がやっていることに都度あーだこーだ言われるのはストレスである。そうやって1人の打ち手や配信者が潰れていく。その自覚はあるのだろうか。良かれと思ってやっていることは全て悪い方に転がっていく。だから指示厨は害悪だと言われるのだ。
強者は指示厨になりえない。これは何故かと言うと、配信のコメント欄ではアドバイスをするスペースや時間が足らなすぎるということ、つまり根本的な基礎力が足りていないからコメント1つでどうこうなるものではないとわかっているから。
逆に言えばそれが分からず的外れなアドバイスを繰り返す指示厨の実力など推して知るべしなのである。
先日とある初心者さんの配信を見ていてあった一幕。
なんてことは無い手牌。素直に中を切ればいいし実際にこの配信者さんは中を切った。ところがこれにある指示厨が待ったをかける。
この手は6pを切るべきなのだと言う。その心は、6pを最後に切ると47pが読まれやすく上手い人は打ってくれない。また赤5pは絶対に使うからであるという。語ってはいなかったが中の安全度や6pの危険度も考慮したのかもしれない。
まあ遠慮なしに言えば大悪手だ。とても人に勧められる打牌ではない。勿論彼が語るようなメリットが打6pにはある。それ自体は否定しないのだが、麻雀は比較のゲームである。
ターツが足りないこの手では余っているように見える6pを軸にもう1ブロックを想定しなければならないし、6pを先に切って中を抱えても終局までの守備力など確保できず、むしろテンパイ速度が遅れる分他家の和了の機会を増やしてしまう。また点棒状況や手牌価値的に赤5pが必須という訳でもないから将来的に出ていく形を避ける必要性もない。様々な面から6pを切るメリットが残すデメリットを上回らないのだ。
もっと踏み込んだ話をすると、そもそもこれ銀の間や!どこにお前が主張する「手牌を読んでくれる強い人」がおんねん!となる。
勿論この時の対局相手が強ければ打6pの妥当性が格段に上昇するかと言われればそんな訳はない。メリット・デメリットを比較した結果、いかなる場合も素直に中を切るのがベターであると私は考えるし、人にそのことを簡易的に説明するだけでこれだけのスペースが必要となるのだ。
これは偏見かもしれないが、指示厨は麻雀において重要な「比較」をしない傾向にある。先程の手牌で言えば、6pを後から切ることによる47pの注目度となるが、何かを判断するに当たってとかく1つの要素だけ取り上げがちなのだ。他にもよく見るのは、先行リーチの現物だからダマだとか、マンガンだから全ツだとか。
だが実際はそこまで単純なものではないし、判断を下すための要素を比較する際にはそれぞれの重要度も考える必要がある。正しく重要度を比較できず、自分が見えている要素だけにスポットライトを当てて考えたような顔をしているから、頓珍漢な結論に終止しいつまでも上手くなれないのだ。
人を指導し、ワシが育てたごっこができる技量など君たちにはない。見直すべきは人の麻雀ではなく、自分の麻雀であると心得よ。
といつにも増して厳しい事を書いたのだが、そもそも自由に指示厨が出来るのは配信者サイドの優しさによるものだと自覚して欲しい。
「初心者です!アドバイス募集!」などとサムネや概要欄に書いてあるから指示厨は寄ってくるのだろうが、これは少しでも配信を盛り上げたい、コメントを残してほしいという配信者の思惑があり、マウントを取りに来ることを許容している訳では無い。ただただ優しさに甘えているだけなのだ。
そういった優しさに付け込まれ、指示厨を放置した結果、配信や麻雀そのものを辞めてしまった人を何人も見てきている。だから少し過剰ともいえる書き方をさせてもらった。
配信者さんも、アドバイス募を公言するのは諸刃の剣だと知ってほしい。実力がわからない指示厨の言うことを聞いても上手くなれないし、そもそも彼らはマウントを取りにきているだけなのだから。配信を長い目で見て盛り上げてくれる良い視聴者にはなり得ないのだ。
成長を焦らず、あてにならない意見は取り入れず。歩みはゆっくりでもいいんじゃないでしょうか。
それでは
※当記事内で使用した牌姿並びに全体牌図は「牌画作成くんbyその研」様及び「全体牌図作成くんbyその研」様を用いて作成しました。
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