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久々に,映画レビュー…☆彡

今日は久しぶりに、今迄の映画を見た中で、レビューを書いた中身を振り返りながら、紹介して行きたいと思う。

最近は忙しくて,見てもレビューをあまり書かないし、見る時間もなくなって来た。

しかし、以前のレビューを辿ってみて、もう1度見たいものや皆さんにおススメのマニアック❓な(マニアックでもないか^^;)映画をご紹介したい。

まずは2011年,福島原発事故が起こってから見たものとして、『チェルノブイリ・ハート』が挙げられる。

この作品は、本編と別編の2本立で、番外編は「ホワイトホース」。

本編の名に由来する心臓奇形の子どもはホンの数分の映像ではあるが、タイトルだけあってこれぞクライマックスと振り返る。

人類が起こした不幸を自分達が補填するかの如く、1人の医師が見棄てられた重症疾患の少女を救う瞬間だ。

医師は謙遜でなく自分のいつもの職務を全うしているに過ぎないと、サラリと言う点に心打たれる。

全体を通して確信するのは、当たり前だが原発によって幸せになる人は誰1人、いないこと。

利権で幸せになれると言って憚らない人がいたら、人殺しをして死者の財で幸せになり、平然と居直る犯罪者だと言えよう。

番外は、汚染地帯にいて不幸中の幸,避難後も元気で何年振りかに自宅に戻ってみたマキシムの、過去に戻りたい切なさと戻れないもどかしさに揺れ動く様子を描いていた。

事故によって人々の人生は翻弄された。

人を殺すと同じくらいの犯罪ではないのか…。


次に挙げるのが、『ホテル・ルワンダ』

note-ホテル・ルワンダ 映画レビュー

わたしは以前、『ルワンダの涙』を観た。

今から15~6年前になるだろうか…。

強烈な印象は、映画の中で数々の大量虐殺のシーンが展開され、観ているわたしたちまでが惨劇のパニックに引きずり込まれたように錯覚を起こす凄まじさだった。

どこを見ても至る所で、虐殺の嵐と川のようにおびただしく流れるどす黒い血と、

横たわる人 人 人。

隣近所同士、平気で殺し殺されと言う風景が起きていた事を、映画はそのままに語っていた。

だから本当に殺戮のイメージしかなく、戦慄しかない。

白人の青年と牧師が残され、軍の撤収車に乗る乗らないの葛藤だけがわずかに記憶にある。

そして最終的には国連軍が全員残らず引き上げると言う、絶望と無力。

かくして教会は平和の象徴ではなく、死の海に豹変してしまった…。

これが『ルワンダの涙』のあらすじならば、それに比して『ホテル・ルワンダ』には一条の光がある。

ミルコリンズと言う4つ星ホテルの支配人であるポールは、妻がツチ族であり、自分がフツ族である事もあって、両族の戦いを望んでいなかった。

どうして同じ土地に住む者同士で殺し合いや憎しみを持つのか、理解が出来ぬままコトの重大さを真剣に受け止められず、野蛮な連中の戯言としか理解していなかった。

しかし刻一刻と事態が深刻化し、このホテルが難民収容所化して行く中、支配人である彼は自分の地位と機転を利かせて巧妙に活用しつつ、家族や友人,周囲の人々を守るために、その場その場をうまく切り抜けていく。

時にはホテル内の従業員に裏切られて通報され、民兵(これがラジオを使ってフツ族を洗脳し先導)が侵入しそうになり、避難しようとしていた国連軍の車が襲われたりもしたが、同乗していた妻たちは何とか一命を取留める。

またこれは事実とは一致するのか定かではないが、報道陣の中には危険を冒してまでも、この虐殺を告発すべく殺戮の状況をつぶさにカメラに収めるも、世界はフツ族による大量虐殺をなかった事にした。

西欧,特にアメリカがこれに乗り出していたら、ツチ族の大量死はもっと減っていたに違いない。

アメリカが国家警察的な地位を握ってしまったにも関わらず、この不正義は何たる事か。

利権が絡まない,美味くない問題に対して一切見向きもしない。

人道的な事に動くと言う視点は、彼らの眼中にはないらしい。

ここに、黒人差別とアフリカ差別極まれりと言う事だ。

『ルワンダの涙』でもそう言った背景説明があったかも知れないが、ルワンダの初めての状況を目にし、あまりにも残酷シーンに圧倒されて、そう言う内容は、ショックのあまりわたしの記憶から白紙にされてしまったか…。

騒動の渦中にありながらも、あとから駆けつけるポールもその家族らも無事、難民収容所まで辿り着く事が出来、最後にナレーションでポールに賄賂を迫った将軍たちが裁かれる報告が読上げられ、ストーリーは幕を閉じる。


3番目に…

note-黒澤明監督・夢 映画レビュー

黒澤明氏が、自分の見た夢をもとに撮りあげたオムニバス。

「日照り雨」

「桃畑」

「雪あらし」

「トンネル」

「鴉」

「赤富士」

「鬼哭」

「水車のある村」

…の8話を収録。

ILMによる特撮の他、ハイビジョン・システムでの合成を導入。

幻想的な雰囲気の映像と豪華なキャストで話題となった作品で、こんな夢を見た。――と何作も短編集が展開される。

「桃畑」に感動して男の子の主張にはもらい泣きしてしまった。

男の子が桃の木が好きだったのに、畑の木を皆切り倒されてしまった事を、ひな祭りの化身達に泣いて訴えるのだ。

桃が食べたかったのに、食べられなくなるから泣いたんじゃない。

桃は八百屋で買える。

でも桃の花の咲く樹は、切られたらもう見られない。

だからあの時も泣いたんだ。

と子役に言わせる所など、今の社会に対する警鐘や問題の提起ではなかったのだろうか。

それは容易に想像つく内容だった。

しかしそれを重く見るか,看過するかは個人の価値観の違いだとも思う。

「雪あらし」には、八甲田山さながらの厳しい雪の中での登山で、遭難寸前の状態にある山男4人。

主人公も雪山の中で眠る寸前のところで雪女に出会い、格闘を始める。

雪女を振り切ったことが夢だったのか、そのキャンプが見つかって向かうまでが夢だったのか、それは視聴者の想像に委ねられているらしい。

「トンネル」には、落ちぶれ復員した兵隊みたいな寺尾聰が登場。

第3小隊の野口と言う部下だった兵隊が英霊として登場する。

そこで、寺尾聰の役柄が中隊長であることが分かるのだが、そのあとトンネルの向こうから多くの幽霊が中隊長の元へ行進して来る。

幽霊たちは、自分の両親の元へ帰りたいと無言のうちに訴える。

わたしがこうしてここでこの言葉を言うのは、野暮かも知れないが「戦士とは言え、犬死だ」との、中隊長役の寺尾氏の言葉は重い。

「鴉」も寺尾聰が出て来るので、雪山の遭難の夢も寺尾聰だったのかと今更のように見ている。

ゴッホ展の1枚の絵から、夢が展開する。

6作目はまるで、ウルトラマンかゴジラの始まりと見紛う風景の中に、富士山が立ちはだかっていた。

まるで富士山からの噴火にも見えた。

これが「赤富士」か…レンタルのせいか、タイトルが分からない。

ある男が「紫の気体は、放射性物質のうちのこれこれで…」と着色技術が成功したことを説明する。

そして自分も原発推進派だったことを白状して崖から海に飛び込むのだった。

本当にこれは短編とは言え、凝縮された中身に驚嘆。

事故前に黒澤監督が予言した作品として、希少な問題作だ。

もっとみんなが観るべきだったと今更ながらに言っても、あとの祭りか…。

「鬼哭」にも寺尾聰氏。
この短編映画集の全ては彼が主演か…とやっと理解する。

これもやはり核問題を訴える小品。
水爆等によって環境が変わってしまい、砂漠化した中から、突如奇形の植物が出て来た様を演出していた。

この映画では原子力推進派は鬼になって死ねないと言う。

生きながらえてツノの痛みを負って生きるのだと言う。

苦しみに耐えながら地獄のような生き様を続けなければならないと言う。

本当にこうなってくれないかなぁと映画の世界に羨望の眼差しを向ける自分がいる。

とっととお前もどこかへ行けと1本ツノの鬼に寺尾聰が言われるが、どこへ?と問うと、お前も鬼になりたいのか!と脅され、坂を転がるようにして逃げる夢だ。

「水車のある村」は電気のない世界…やはり核問題を問う作品だ。

これらは黒澤短編集のうちの3部作と言って良い。

ガソリンやエネルギー問題をも問うている。

――水車が回り、のどかで美しい村の風景がある。

これらの黒沢映画短編集は、まさに心の底から自然を愛する事を求めてやまない映画だと思う。

汚された空気や水は人間の心まで汚すと言う長老の話から、死んだ者に対する葬式の考え方…これら皆すべてわたしは共感する事ばかりだった。

ちなみに、この長老は笠 智衆氏。

茶目っ気があったり、長老らしい振る舞いを演じたりする彼の姿に、本当にこの人がはまり役だと思った。

やはり黒澤明監督の作品は味があって、唸ってしまう…。

最近見たいのは、邦画で『プリズン・サークル』だ。

皆さんのおススメは、何だろう?!

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ツツジのち/サツキが晴れて/満開に

      (もうサツキも枯れて来ましたが…2020.05.25日分として^^;)

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まろんはっぴのおしゃべりnote
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