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センスは否定から始まる

美味いものを知る。それは、不味いと感じるものが増えるということだ。
グルメな人というのは、食べられないものの方が多い。
美味いものを追求すればするほど、舌は肥え、今まで美味しく食べていたものが食べられなくなっていく。

このような現象を人は、センスと呼ぶ。
「これ」というものが分かる人には、その何百倍もある「これじゃない」を瞬時に拒絶することができる。
よく見えていて、よく感じられて、よく知っている人のことを、人は「センスが良い」という。

弟や妹の方が兄や姉よりも出来がいい、という現象がしばしば起こる。
これも、兄や姉を通して先に学び、知っているからより“センスの良い”行動を選択できるのだ。

つまりは、グルメなのだ。
どんな行動、どんな心構え、どんな立ち振る舞いが“不味い”かを早くから熟知している。
だから相対的に出来が良く見える。

さらに俯瞰すれば、子は親を通して先に学び、センスを培うことができる。
ギャンブル、衝動買い、不摂生、不勉強。
いくら歳を重ねていようと、一歩踏み入れればグレーゾーンな部分というのは、嫌でも見え隠れするものだ。
最も身近な大人の“不味い”部分を味わうのは、深い失望を伴うだろう。
しかし、グルメになる、とはそういうことだ。
「これじゃない」をはっきりと言えるようになる必要がある。

何も否定しないというのは、優しさを意味しない。
誰からも何も学ばないということは、罪深くて残酷なことだ。
何も否定できないというは、単に目が、舌が、肥えていないだけだ。
誰からも何も学んでこなかったのだと、次世代の子たちに不味い思いをさせることになる。

もし、この記事があなたの気に触れたのなら、私を否定することから始めてみるといい。
否定した上で受け入れたのなら、それは優しさに値するだろう。
善く生きたければ、グルメになれ。

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