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ロブスター

今回はこの作品です。
あの有名な哀れなる者たちでメガホンを取ったヨルゴス.ランティモス監督の作品。
一言で言うととにかく設定が面白い。パートナーがいなければ動物になるという斬新な世界に没入してしまった。しかしこの映画の面白さはそこだけではない。大きく分けてテーマは3つあり、①恋愛を助長する社会への皮肉②愛情の類義語が痛みであること③共通点と考える。
①恋愛を助長する社会への皮肉
 主人公は妻と別れて、ホテルに送られる。このホテルでは決められた期間以内にパートナーを作らなければ動物に変えられてしまう。主人公は期日ギリギリになんとかパートナーを見つける。このパートナーというのがとにかく異常者である。後々にも記述するが、主人公は自分も同じような異常者であることを演じて、彼女に近づいたのだ。早くパートナーを見つけないと動物にされるというルールのせいで、彼は彼女と付き合うことになった。おそらくそこに愛情というものは微塵も存在しなかったのだろう。だから別れたのだ。しかしホテルから脱走した後に、恋愛禁止のコミュニティに入ると、彼は自然と1人の女性に恋をする。明確な嫉妬という感情を剥き出しにするほど、その女性を愛するようになる。
 このように人間とは禁止されるとより強い関心を持つようになる生き物で、奪われると欲しくなるという我儘な存在なのだ。つまり昨今のような「結婚しろ」だの「子供を産め」だの言う社会はむしろ逆説的に恋愛を制限する社会であり、そうした少子高齢化対策や恋愛助長社会への皮肉がひとつのテーマなのだろう。
② 愛情の類義語が痛みである
 上述した通りだが、主人公は一度異常者と付き合う。この異常者と別れることになった決定的な理由は彼女が彼の犬を殺したことである。彼が犬を殺され動揺したことで、彼女は「嘘をついたのね!」と激昂する。彼がその痛みを受容しきれない人間だからだ。
 足の悪い男の方だともっとわかりやすい。彼はよく鼻血を出す女と結ばれるが、彼は初め彼女に近づくために、自ら壁に鼻を打ちつけるなどして、無理やり鼻血を出す。彼が同じ痛みを持つことを示すことで、彼女は彼を深く愛するようになる。
 映画の序盤の方でも足の悪い女が入ってきた時に、こんな会話がある。
主人公「足の悪い女が入ってきたらしい。」
足の悪い男「ただの捻挫だよ。」
主人公「それは残念だ。」
大まかではあるがこんな所だ。このシーンからも分かるように同じ痛みを持つものを彼らは強く求める。ラストシーンでは主人公は自分の愛する盲目の女と同じ痛みを持つために、自身の目をナイフで突き刺そうとする。これはつまりこの痛みを超えてでも彼女と一緒にいたいと思えるかどうかを試されているのだ。
③ 共通点
 ②ともかなり重複するテーマなのだが、あえて別枠で書こうと思う。主人公がホテルに入る際に以下のようなやり取りがある。
ホテルスタッフ「足のサイズは?」
主人公「27.5だ。」
スタッフ「すみません。27か28しかありません。」
 これはホテル側が選択肢をなるべく少なくすることで、参加者の共通点を恣意的に増加させていることを表している。ホテル側が「同じようなもの」に固執していることは映画を見ていればよく分かるだろう。
 また主人公も「共通点」というものにこだわっていることは明白である。森の中で恋した女との共通点とは近視であり、彼はこれに非常に執着している。彼女に近寄る男が近視なのか否かを気にするぐらい、この共通点が彼にとっては重要なのだ。話が遡るが、犬を殺したくせに逆ギレした女が激昂したのは共通点を主人公が嘘で作り上げたからだ。そもそもこの共通点というテーマは②の痛みと重複することで、「同じ痛みや苦しみを抱える共通点」というのが恋愛の根底にあるものだと彼らは認識しているのだ。この点で監督の恋愛観というものがよく伝わってくる。
 以上のことを踏まえた上で、本作品の最も伝えたい点は「痛みを伴うとしても、同一化するために自ら進んで苦しむことこそが本当の愛だ。」ということだと考える。
 足の悪い男が成功したのは彼が鼻血を出すという痛みを受け入れて、パートナーと同一化したからであり、反対にホテルのオーナー夫婦が失敗したのは旦那にその覚悟がなかったからである。
 映画の最後は主人公が目をナイフで突き刺そうとする寸前で終わる。本当に目を刺したかどうかを自らで考えることで、自分がその痛みを受容できる人間なのかどうか試されているのだ。

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