サイの角のようにただ独り歩め
こんにちは、王翦です。
アウトプットをするにあたり、いろいろな媒体に分けているので、単純作業にならないのが良いです。
脳とは面白いもので、「今日はこれをする、やり切る!」と決めると、それが終わらないと寝れないと勘違いするようです。要するに、ちょっと頑張らないと出来ないくらいのボリュームをはじめに設定しとくと、自分の力をより引き出しやすい気がします。おすすめです。
仏陀の教えだった
さて、表題の件に移りますが、僕の大好きな言葉のひとつです。
で、この言葉について記事を書こうと思い、ググってみて初めて知ったのですが、これ、THA BLUE HARB(ヒップホップアーティスト)の言葉が語源じゃないんですね。
僕はブルーハーブ経由で知りました、というかブルーハーブの言葉だと思ってましたが、語源は仏陀(ブッダ)でした。そして、もっと深く、この言葉の真意を理解する事が出来ました。
以下文献参照:
学識豊かで真理をわきまえ、高邁(こうまい)、明敏な友と交われ。いろいろと為になることがらを知り、疑惑を除き去って、犀の角のようにただ独り歩め。
仏教では「悩みの原因となる対人関係から距離をとる」という意味での孤独を勧めると共に「優れた友との交流」を勧めます。一見して矛盾するように思われますが、そのねらいは真に独立した人格を形成するためにはどちらも必要ということです。そして、ここでの「友」は対人関係における友人に限定されません。例えば、大学生であれば自身がひたむきに学ぶ学問が「友」になり、社会人であれば自身が責任をもって勤しむ仕事が「友」になります。つまり、自身を成熟へと導くものが総じて「友」と呼ばれるのです。
参照元:http://www.otani.ac.jp/yomu_page/kotoba/nab3mq000004mtbk.html
想定外に話が大きくなってしまった、というか読んでて「おもしろ!」となり少し脱線してしまいました。つまり、ブッダがこの教えを残したのが何千年前か分かりませんが、太古の人も現代の人も悩みの種は同じであるようです。
「悩みの原因となる対人関係と距離をとる」
何かに挑戦する時、大きさの大小は異なれど、人は孤独を知ります。
これは僕の経験則でも確かで、「経営者は孤独」というよく聞く言葉は、ほんとにそうだなって実感する時がこれまで何度もありました。
中間管理職をやっていた時もそうでした。社長の直下で支店を任されていた時。プレッシャーと不安で押しつぶされそうになりながら、もがいていた経験を思い出しました。
『サイの角のようにただ独り歩め』リリック解説
その頃僕は、このTHA BLUE HARBの名曲『サイの角のようにただ独り歩め』をよく聴いていました。
ここからはその曲から、ラッパーBOSS THE MC(外部仕事ではILL-BOSSTINO)
の残したリリックの断片を少々拝借。
野蛮なる度胸と冷静さの2つで
勝機を見極め1発で腰を砕くぜ
だから勢いよ お前は振り返らず
先頭をサイの角のように
ただ独り歩め
↑初っ端からぶっ飛ばされる。
だから勢いよ 勢いに呼び掛けてるところに異才の表現方法を感じる。
燃焼させる420型エンジン
高燃費なひらめきの神の化身
↑420とはヒップホップスラングで「大麻」の意。
高価な大麻を吸って思いつくリリックを『高燃費なひらめきの神の化身』と呼んでいる。
言葉が意味を持ってるって説は
俺のリリックだけに
常に付き添う番犬だ
↑札幌の生んだ怪物は東京のシーンを敵対視していた。
俺の言葉だけが重く、強い。そういう思いをこの比喩表現に乗せている。
ここは俺たちがあずかるぜ
それよりも各地の同志達が
キッカケを待ってる
革命よ 振り返らず天地の間を
サイの角のように
ただ独り歩め
↑その頃のBOSSの頭の中は、東京VS地方
北の札幌から上げた狼煙が各地でくすぶっている才能に呼び掛ける。
(だが名古屋のTOKONA-Xは同調せず、のちにBOSSに向けたDISを音源にする。)
などと王翦は申しており。
2002年発売のアルバム『SELL OUR SOUL』に収録された同曲。
このアルバムは後世に残りまさに名盤と呼ぶに相応しい1枚です。
もう17年前か…今聴いてもまったく色褪せない。
もしまだ聴いた事がない方は是非聴いてもらいたいものです。
レビューしようと書き思い始めたわけではなかったのですが、今この『サイの角のようにただ独り歩め』を聴きながら書いていると、気付いたらこんな文章になっていました。
「友」とは何か
参照文の中でブッダは、「友」を持てと言っています。
そしてその「友」とは、決して人に限った話ではないと。
悩みとなる友人関係を断ち切り、別の「友」を得て、サイの角のようにただ独り歩め、と。
得てして人は自分のステージが変わる時に、今の交友関係に居心地の悪さを感じたり、つまらなさを感じたりするものです。僕も経験がありますがそれはしょうがない事で、周りにいる人間は変わります。
それは自分のレベルアップであったり、またはダウンの証明となります。
一度人間関係を断ち切り、孤独と向き合い、新たなレベルになった時、次はそのレベルにいる同志と呼べる人物と巡り合うものです。
こうして書いている僕自身が今「どこ」にいるのかは分かりませんが、自分を信じ日々模索し孤独に打ち克つ事で、お互いを高め合えるような人物と巡り合うのだと。
この文章に共感してくれるあなたが、何かに挑戦していてもがいてるのだとしたら、もしかしたら僕と同じ目線で別の山の山頂を目指しているのかもしれません。
もしかしたら、お互い山の頂上から会話が出来る日が来るかもしれませんね。
何か始めようと思うけど勇気が出ないあなたへ
何かを始めるのに遅すぎるという事はありません。
答えはシンプルです。
サイの角のようにただ独り歩み。生きろ。
ではまた。
俺は俺の道を行く。