社会がどうあろうが君が悩む必要はない
SNSとくにTwitterを見ていると、謎の論争を繰り広げている場面をよく目にする。
お題は社会の何かしらの記事だが、誰かの発言に対し誰かがあげ足をとるようなラリー。
何かしらの記事は、もはやどんな記事でもいいのかもしれない。
自己承認欲求を満たしているんだと思う
でも、このやりとりって何か社会の役に立ってるんだっけ。
などと考え、だったら見なければいいじゃん、という話なので、Twitterをあまり開かないようになった。
好きなら見ればいいし論争すればいいし、個人の自由なのだけど(言論の自由、いい国)、僕のようにそれを見て辟易しているユーザーもいるんだと思う。
だし、問題によっては、どうにかしたいなぁとか物申したいと思う事もある。
なんだけど、じゃあ僕に出来る事ってなんなんだろう。
Tweetすると何か解決するんだろうか。
そして、自分の無力さを知る。
じゃあこれからどうするか。
大事なのは、じゃあこれからどうするか。
僕がそれらの社会問題で頭を悩ませる時間は捨てる事にした。
アドラー心理学の『課題の分離』という観点で考えると、社会の問題の課題はあなたのものではない。
高尚な目標を持つのは大変素晴らしいと思うが、その為のアクションとして、悩むことに残念ながら意味はない。
君は君が出来ることを粛々と続けることしか出来ないし、それでいいんだと知る事が重要。
などと考えたので、そのうちラジオで話してみようと思いました。
あなたにはあなたにしか出来ない事がある。
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この執筆活動が、僕の知らない誰かの人生のお役に立てたら、これほど嬉しいことはないなぁ。
そう思いながら、PCに向かっています。
応援していただけたらありがたいですm(__)m