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言語化するために大切なのは感じ取ること

「言語化は大事」だとよく言われていますが、ただ刺さる言葉とか拡散する言葉だけを求めても、白々しく怪しい表現に行き着くだけ。その言葉のなかに、自分自身がちゃんと表現されていなければ、空虚なだけです。自分自身を表現するために、何が必要なのでしょうか。


言語化のプロセスとは?

言語「化」というからには、言葉以前の「何か」があるということですよね。その「何か」とは、一体何でしょうか?

言葉を探したり文章を綴ったりする際に、「言いたいことは何か?」というようなことがよく言われます。もちろん、言いたいことを整理することは必要ですが、それはもうある程度言いたいことが像を結んでいる場合であったり、対象が表面的な事柄だったりする場合でしょう。

それ以前のもっと混沌とした領域にあるもの。まだ霧に覆われてはいるけれど、霧の向こうで確かな存在感を放ってそこにあるもの。それが言葉化以前の「何か」だと考えてみます。

感じたことの殆どは言葉にならない

言葉のならないけれどそこにある、そうした実感を伴うものとして、感情や身体感覚、フィーリングやイメージが挙げられます。

ただ、それらの「感じたこと」を言葉化しようと思っても、適切な言葉が見つからないことはよくあります。大前提として、膨大な感じたことの一部分だけが言葉になり得るからです。

そのためには、自分は今何を感じているのか(あるいは、あの時何を感じていたのか)を「探る」ことが必要です。探るというのは、解像度を上げながらそこに注意を払うことで、内的な作業です。

言葉がやってくると自分に出会える

感じたことやイメージを探っていると、不意に言葉がやってくることがあります。もちろん、言葉化する意志を持ち探ったからなのですが、こちらが言葉を見つけたのか、言葉がこちらを見つけたのか、判然としないところがあります。

そうして的確な言葉に出会えると、同時に自分自身にも出会えます。適切な言葉は光であり、その光が暗がりにあった自らの内奥を照らすからです。

逆に、似て非なる言葉で妥協してしまうと、今度はその言葉の強い影響を受けてしまいます。人によっては、自分の感じていたことを見失い、似て非なる言葉の意味するところに内面が置き換わってしまうことさえ起こります。

不正確な言葉で語ることは自分自身を混乱させ、見失わせる力があります。丁寧に探って言葉化することの重要性は、言うまでもありません。

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長田英史(おさだてるちか) / NOT SHIP
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