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二十代の視点から見たエルヴィスの魅力

3月の半ばも差し掛かろうかというのに、いまだ寒い時期が続いている。やっとすこし暖かくなってきたかと思ったのに。もうセーターしまっちゃったじゃないか。そんなわけで、予定の特にない日はどこにも行かないことが増えてきて、危機感を覚える。せめて動かないと、というか運動しないとまずい。もっとも、あのご飯会後のボーリングのせいで体中筋肉痛だから、もとより昨日はなにもする気が起きなかった。

結局、ほとんどずっと音楽を聴いていた。
私はいま23歳で、それなりに同世代の聴く邦楽も嗜むつもりだけれど、昔から好きなのはスウィングジャズとかロックといった昔の洋楽だった。父親の影響だろうが、昔からドハマりするのはそういった類だった。

とくにずっと聴き続けているのは、ロックのパイオニアとして知られるエルヴィス・プレスリーである。エルヴィスといえば若い日本人にはなじみが薄く、知っていたとしても名前を聞いたことがある程度だろう。でも、いろんな音楽を聴いてきて、あんなに上手に歌に感情をこめて歌える人はいないと思っている。ほかの人がヒットさせられない、言ってしまえば大したことのない、おそらく埋もれてしまうような楽曲であっても、彼がアレンジを施して歌えばすぐに曲が生き生きしはじめ、ヒットチャートに入ってしまうのである。あれはなぜなのだろう。

日本にも現代の歌手やバンドで歌がうまい人はたくさんいる。最近では、小説のような歌詞で、早く流れるようなスピードで、ファルセットを多用する人たちが多い、というのが私の印象である。彼らの魅力は、昔のアーティストを凌駕する技術はもちろんのこと、現代人の早く流れる時間とそこで生まれる複雑な感情とを体現することにあるのだろうとおもっている。現代を生きる私も当然、日常茶飯事的にそれを求めて浸る。

一方でエルヴィスの音楽は、ロックだろうと、ブルースだろうと、バラードだろうと、常にまっすぐで良くも悪くもストレートである。歌い方の工夫は多くあれど、技術なんてものはこれっぽっちもない。そして、こんなに違うのかというくらい、楽曲や時期によって歌い方を変化させる。
だが、どんなに屈折した暗い感情を歌う時であれ、力強く、ときにはささやくように、それでも強く訴えかけて心に入ってくる。彼の声は、なんともいえない独特の情感を醸し出せるのである。そこに、現代のような楽器の演奏技術などはなく、未完成のようでもあり、シンプルなものが多いのだが、この歌の情感は誰にも真似できない。エルヴィスのように歌にこもる情感だけで聴いている音楽は最近の邦楽の音楽にはないだろう。

現代人からすればかなり渋い音楽かもしれないが、エルヴィスのゴスペルアルバムでもカントリーアルバムでも聴いてみてほしい。ほろ苦い暗さと現代にはない快活さをと感じ取ることができるだろう。




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