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見られ方、売り方

最近、サカナクションのライブに行ってきた。フロントマン山口一郎氏の2年に及ぶ活動休止からの復活ツアー、Sakanauarium 2024 "turn"のポートメッセ名古屋公演。

活動休止前のツアーに行って以来だから、2年ぶりということで感無量。
サカナクションのライブの良さについてはいろんなところで言われていて、とにかく音が良い。

今回のライブはスタンディングで席はなく、豆粒のように見えるミュージシャンに目を凝らしながらひたすらに踊り暮れた。アドレナリン出まくりで楽しかったが、その後の疲労が凄まじく、おなじファンの方たちとの飲み会を断って帰ってしまったのが心残りだ。

ライブといえば今回のようにひたすら盛り上がるようなものもある一方で、席に座りしっとり聴くものもある。こちらはコンサートと呼ぶのが妥当なのかな。
私はジャズが好きだから時折1人でジャズのコンサートに行くけれど、中にはお酒を飲みながらゆっくり聴けるブルーノートのようなところもある。(高いからたまにだけだけどね!)

ライブの楽しみ方は様々だ。

人がライブに行く目的は一見、それぞれ違うだろう。
音楽そのものを楽しむ人、アーティストに対してアイドル的に推し活して来る人、ただ仲良い友達に誘われたから行ってみる人。

私は音楽そのものに浸りたい人だけど、やはり出来れば演奏している姿はじっくり見たい。

結局、顔出しする以上、みんなアーティストを見に来ている。そりゃアーティストにカッコ良さや美しさは求める。これは容姿だけのことを言っているわけではない。振る舞いも含めて。

度合いの差こそあれ、みんな好きなアーティストにはある程度の"アイドル的フィルター"をかけている。少なからず、好きなアーティストの容姿や振る舞い、雰囲気にはカッコよくあって欲しい、可愛くあって欲しいという自己の願望を投影しているところはある。

どうしても音楽そのものと、アーティストの容姿や振る舞いは決して切り離せない。
いくらアイドル売りしていないアーティスでも、やがて一部の熱狂的ファンにより"アイドル化"していくものなのだ。
音楽そのものを見て欲しくても、私生活のことで話題になったり、些細なことによるイメージの上下はとてつもなく激しい。それもネット社会により加速度的に監視社会になってきている。顔出ししないアーティストが増えた理由もそこにあるのかもしれない。

表に出る人は見られ方を気にしなきゃいけない時代になった一方で、逆に私はポジティブな面も感じ始めている。
たとえば、「自分の売り方」が多様化している点だろう。いまはSNS監視社会のせいで他人からの見られ方なんて星の数ほど可視化されたわけなので、自分はこう見られれば売れる、というのが見つけやすい時代なのかもしれない。ある意味そこで求められているキャラを分析してそれを貫き通せる。とはいえ作為性のさじ加減が難しいところだけど。

これから社会に出ることを考えて私も自分の売り方を研究しなきゃいけない。自分を客観視することと、SNSや世間の本質的な部分にアンテナを張ること。これが意外と難しい。人からの評価で傷つく必要はないけれど、そこから自分の立ち位置を自覚はしなきゃいけないというね。これが結構ツライ。

ふわふわ考えていたら変な結論に行き着いた。

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