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別にやりたいこともなりたいものもない

自分に自信がなくなったのはいつからだろう。
努力ができなくて大学受験に失敗したときかな、付き合った人たちに蔑ろにされ続けたときかな。
それとも、世の中には自分より優れた人達が腐るほどいて私は何も勝っていないと侵略されるように知っていったときかな。

段々と自信がなくなって、記憶力が衰えて、思考が停止してもう30歳になろうとしている、自分のためだけの文章を書く。

同世代も年下の子たちも一様に、真面目くさった顔で他人と仕事の話をする。サービスの目標や実績や自分の目的。みんなには数字が見えていてビジョンが視えている。あの頃、同じように校庭を走っていたにも関わらず。
私にはそれが全く見えないし知りたいとも思っていない。でもそれは、30歳の社会人としての終わりを意味している。手元も先も見えない暗闇の中で息苦しく立ち止まっている。

人と、仕事で話をするのがとても怖い。
相手は揃って切り札を隠し持っていて、私はちらちら見え隠れするそれに怯えながら丸腰で対面している気分だ。
思想もないし拘りも記憶力もない私を簡単に斬りつけることができる人々は、すぐに攻撃もするし優しさで刃を下ろすこともある。その優しさにかえって深く削られることもある。

目標設定や勤怠管理みたいな社会人にとっての雑務のようなものも苦手。
後回し先延ばしにしてしまって結局提出できず、会社の誰よりも遅くなって怒られやっと急いでやり出す始末。私以外にも同じようなタイプの人がいるのか気になり(このあたりが日本人)知恵袋を見てみると、そんな奴は会社のお荷物扱い、と一蹴されてしまっていて質問者ではない私まで無防備に傷付いた。

面接や面談ではよく、今後のキャリアプランや成し遂げたいことを聞かれる。
日々、考えてもいない問いに私は完全に思考停止してしまう。明日のこともわからないのにキャリアプランなんてあるはずが無いし、毎日最低限のことをこなしてやり過ごしているだけだ。社会の方々は皆、キャリアプランを設計して壮大な成し遂げたい何かがあって日々目標に向かって乖離が出ないように突き進んでいるのだろう。目的がない仕事なんて、人生なんて、ゴミのように価値がないと、私の苦手な人々はそんな表情をしている。
私は最近、同い年で社長になっていた美人さんのツイッターが見るに耐えなくて、そっとフォローを外した。

これらを「甘え」だと、「成長意欲がない奴はクズだ」と、言われるのが怖くて誰にも言えないでここまで来た。インスタのキラキラ女子もツイッターの軽い呟きも掲示板の笑えるネタも全員、数字を気にして伸び率をチェックしていることがほんとうに怖い。でも、この脳みその底で、過去の栄光で出来たうすはりグラスくらいの薄さのプライドがいつもキイキイ音を立てている。
何も出来ないと自分に言い聞かせて、雪だるま式に自己嫌悪が膨らんで、どんどん自信を失っているのは自分で作り上げた循環かもしれない。

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