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『お金を稼ぐ』

今季から中日ドラゴンズの育成部門のコーチに就任した小林正人さん。

群馬県出身。桐生第一高校時代には甲子園に出場、東海大学を経て、ドラゴンズから2002年ドラフト6巡目で指名されました。その後、2年間は一軍登板なし。背番号が「30」から「69」になった3年目にようやくプロ初登板。しかし、その試合で阪神・桧山進次郎選手に頭部死球を与え危険球退場。正直に言って「ちょっとプロでは厳しいかな…」と感じてしまいました。同じ02年ドラフトで4巡目指名を受けた植大輔選手(JR西日本)も同じ大卒・左投げ。背番号も当時は「30」と「31」。ブルペンでふたりが並んで投げていると「どちらが小林でどちらが植かわからない」という声が上がるほど、「フツーの左投手」という印象でした。

しかし2005年、転機が訪れます。森繁和ヘッドコーチ(当時)の勧めでサイドスローに転向。オーバースローで4試合のみだった小林さんは、そこから289登板を積み上げます。「左殺し」と呼ばれ、左打者に恐れられる投手になりました。

引退直後、草野球に来てくれました。

現役時代からわたしは吉見一起さん(現野球評論家)にお世話になっています。そしてその吉見さんが絶大な信頼を置いていたのが小林さん。周囲への気遣い、場の盛り上げなど完璧で、吉見さんは「小林先生」「小林師匠」と呼んでいたくらいです。話は逸れますが、引退後の広報、監督付広報としての働きぶりもお見事でした。わたしもとても仕事がしやすかったです。そんなこともあり、一緒に食事させていただいたことが何度もありますが、彼の理路整然とした野球理論と、プロ野球選手としての意識の高さには圧倒されました。その中で特に印象に残っているのは「プロ野球選手としてお金を稼ぐ」ことへの意識です。

「大澤さん、会社員がいくら頑張っても年収が急に何百万、何千万と増えませんよね。でもプロ野球選手はそれができるんです。なのに、なんでみんなもっと真剣に野球について考えないんでしょう。僕なんて、左バッターをアウトにすれば給料が一気に増えるんです。そりゃ死ぬ気で考えますよ。こんなに夢のある世界はありません。『グラウンドには銭が落ちている』の言葉通り。自分に与えられた役割をきちんと果たせば、給料が一気に上がる。僕は死ぬ気でアウトひとつ取りにいきます」。しびれました。小林さんのおっしゃる通り。自分がどうやってこの世界で生き残るか、すなわち、どうやって野球でお金を稼ぐかを真剣に考えていた選手でした。

あと、もうひとつ印象に残っているが「カウント3-2」での考え方です。小林さんはワンポイントリリーフでの登板が多かったので、それこそ四球を出そうものならチームや球場の雰囲気を負の方向へ一変させてしまう可能性があります(もちろん「スリーボール・ノーストライク」の地獄も何度も味わっているのですが…)。「カウント3-2」のときにいつも「そこから2球は頑張ろう」と思っていたそうです。つまり、フルカウントから死ぬ気で2球は勝負に行こうと考えていたのです。もしそこからファウルで2球粘られたら打者の勝ち。でも2球は勇気をもって投げ込むんだという割り切りです。フルカウントからボール球を振らせるのか、それともストライクゾーンへ投げ込むのか。その決断と、高い集中力を持って精度の高いボールを投げ込む技術。そんなことを考えて投げていたのかと、改めてプロ野球選手のすごさと厳しさを感じた言葉でした。

就任会見では「ドラゴンズの中で1軍で活躍するためには、いろんな道があるというのも考えてほしい」と語っていました。まさに小林さんの体験からにじみ出た言葉です。わたしとしては「やっと、ようやくコバがコーチになったか」という思いです。11年ぶりのユニホーム、やっとです。プロ野球でお金を稼ぐために、真剣に考えてほしい。その思いをドラゴンズの若手選手に注入してほしいです。

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