見出し画像

熱と一緒にしか出ない、私の弱さと強かさ

多分私は「自分の ぐんにゃりとした、歪んだ部分を出すと どうせ嫌われる」という思い込みがあって
ずっとずっと明るくて前向きな表面だけを言葉にしてきた気がする。
もちろんその陽の部分もわたしに間違いはなくて嘘ではないのだけれど、
ちょうど発熱で弱っていて、自分のヘナヘナした気持ちが もうどんどん出てくるため、
これを機に、自分のザラザラしたところ…人間味みたいなものをもっと出して、自分をゆるして生きたいと思ってる。
あとなんだか怖いのか自分が好きなのか、ついどうでもいいような小さな嘘をついて誤魔化すのがもはや癖のようになっているので、
まずは言葉と感性しか表に出ないこの場では、嘘をつかずにまっすぐ表現してみたいと思った。
布団の中で体温計を咥えながらそう思ったんだから、やっぱり私は病気の時の私が結構好きだな。
もちろん、死なない前提ではあるんだろうけれど。

なんだか喉が痛いかも、と思ったのも束の間、あっという間に寒気がして熱が出た。
婦人体温計の数字は「39.45」を表している。
そうそう、私の家には普通の体温計がない。
去年の夏に、同棲していた人とうまく行かずに引っ越した時に「欲しい」と言われたので渡してしまってそのまま。
普段からの計画性の無さや先延ばし癖、なぜかいい奴になり切って断れないところが こうやって体温計の種類にまで滲んでいるような気がして、ああ、本当にこういうところ。だよなあ。

突然なのだけれど、私は物心ついた頃から 病気である自分のことが、おそらくどんな状態の自分よりも好きな気がする。
好き、という言葉が適切なのかどうかは今書きながら改めて考えているところだけれど、
病気である時だけは頑張らなくても許されるし
血縁含め周りも優しかった気がするし、私に一切の期待されていないように感じて呼吸するのが楽だった。勝手に駄目な私でも許されるような気がしてた。
そして唯一、助けてと言えるし甘えられる時間でもあった。
アイスが食べたい。
冷たい桃がいい。
アクエリアスが飲みたい。レモンのやつ。
お粥作ってよ〜。
頭いたい。寒い。具合わるい。
こんな風に割と遠慮なくわがままが言えた気がする。だって病人なのだから。

なんで、普段から こういう自己主張がのびのびとできないんだろう。

今日だって、なんだか心細いような、誰かに心配してほしいようなそんな気持ちになって、
体温計に出た数字の画面を写真に撮ってInstagramのストーリーにあげた。
痛い女かな、と頭のどこかでそんな言葉もよぎったけれど、仕方ないじゃん具合悪くて寂しいしって開き直れるくらいの強かさはあるのに。
そしてあわよくば、好きな人が見て心配してくれないかなあと思ってたくらいの ずるさもあるのに。

なのになんで、先日私は大切だと思っていた約束を本当に見事に、好きな人に忘れられていた時に、
怒らないまでも ひとこと自分の気持ちをそのまま言えなかったんだろう。
何度も謝ってくれたから、
「謝らなくて全然大丈夫!そんなことで怒らないよ〜、また別の日にしよう!」って言った。だけど、
私は自分自身で大事な約束を「そんなこと」って言ってしまったことを この数日ずっと後悔してる。
「私は、楽しみにしてたんだよ」って、それだけはちゃんと言えばよかった。

傷つきたくないから期待するのをやめて、大切なことだったのに所詮そんなもんだって自分に言い聞かせるつまんない生き方をもうやめたい。

いつもサポート本当にありがとうございます。気持ちが本当に嬉しいです。いただいたサポートは新たな「行動」のために使わせていただきます!