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優しい言葉だけ覚えればいい(第七次)

「伏線回収がすごい」というフレーズをよく目にする。作り手にしてみれば、難しいのは回収ではなく隠すことだろう。結果が決まっているなら、それは動かしようがない。でも何を伏線として見せるか、どうすれば伏線と思われずに自然に見えるかは、気を付けなければ台無しになってしまう。隠さないなら、それは伏線ではない。

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ある映画のレビューに「最後こうなるなら、その伏線を張っておくべきだ。」とあって悲しい気持ちになった。あらゆる物語に伏線が求められるようになったのはなぜだろう。リアルには伏線なんてないことの方が多いのに。でも、よくよく考えると自分は「すべてに意味があってほしい人」になってしまっていると気付いた。

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わがままな人は伏線を回収しない。伏線を馴染ませることもしない。思いつきの言動を、勝手に先読みしたこちらが勝手にストレスをかかえて、勝手に裏切られて損をする。意味なんてないことの方が多いのに、意味があってほしい、意味があるべきだ、と、いつからか考えるようになっている。

今天吃什麼?
今日何食べる?

今日食べるごはんも、何かの伏線だろうかと考えながら食べたくはない。それより「今日何食べる?」と、聞いてくれる人がいることを喜びたい。意味を繋げるのは、振り返る時でいい。

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オオタサトシ
新しい絵具を買ってしまいます。