運命とか立命とか宿命とか⑯
先日、とても素敵な映画を見ました。「夜明けのすべて」という映画。以前、朝の連続テレビ小説「カムカムエヴリバディ」で夫婦役を演じた2人が今回は会社の同僚役で出演していました。
松村北斗さん演じる山添君と、上白石萌音さん演じる藤沢さんの2人を中心に栗田科学という会社で温かく見守られながら過ごしていく時間が描かれています。山添君はパニック障害を、藤沢さんはPMS(月経前症候群)を抱えており、2人は社会の中で生きづらさを感じつつも、周りの方々に支えられ、生きていきます。
この映画を見て2つ考えたことがありました。
1つは、2人の職場の栗田科学の人たちのすごさ!何がすごいって、ただただ2人を受け入れる空気がそこにあるのに、それはその人たちにとっては当たり前で、あるシーンでは、栗田科学の社員さんたちに職場の良いところを聞くと「特にないかな~しいて言えば会社が駅の近くにあったら良いのに」と応えます。山添君がパニックを引き起こす場面で、会社の人たちは慌てることもなくゆっくりと外へ連れて行ってあげます。そして、社長は山添君を早退させますが、藤沢さんに家までついて行くように伝えます。藤沢さんは帰路、山添君に声をかけるわけでもなく、後からついて行きます。
またある時は藤沢さんがPMSで苛立ちを抑えられず、会社の中で山添君にその怒りをぶつけます。山添君は最初はとまどいますが、何度かその様子を見ていく中で、藤沢さんへの対応の方法を見つけ、藤沢さんを外へ連れ出し、怒りがおさまるまで傍にいてあげます。
2人は社会から孤立しないように何とか「普通」でいようとします。がなかなかそれは簡単ではなく、それでも、そんな2人の様子を見守りながら一緒に過ごしてくれる温かい空気がこの栗田科学にあります。
私もそうですが、障がい者そして当事者家族は、特別扱いされたいと思っていないのではと思います。例えば他の人と同じように電車に乗ったり、レストランに入ってご飯を食べたりする時、健常者と同じようにはいきませんがそれでもなるべく普段通りに特別感ないような雰囲気でその場にいられたらいいなと思います。
昔に比べ、“ちょっと変わっている人”を受け入れる社会になってきていると感じています。見ないようにするとか、関わらないようにするという行動は健常者が障がい者の障がいについてよく知らないだけで、嫌いだからとか気持ち悪いからという理由の人は実は少ないのではと思っています。
ある国のリーダーは排斥主義を訴え、選挙の票を集めようとします。SNSで自分と違う考えの人には罵声と怒号を浴びせ炎上させます。気に入らないという理由だけでいじめが陰で行われます。今、そんな世の中です。
栗田科学のような世界になったらどんなに素敵だろうと思いました。これこそ「SDGsが目指す『誰一人取り残さない』グローバル社会」ではないかと思います。がきっと栗田科学の人たちはそんな大したことではないよ~なんて謙遜している姿が想像できます。
「運命とか立命とか宿命とか⑰」に続きます。