見出し画像

運命とか立命とか宿命とか⑪

2022年、私の人生で最もいろんなことが起きた年でした。人に話せば「厄年だったの?」なんて言われるくらい。
2月のある日、会社から帰宅すると息子がいつもと違う様子でした。放課後等デイサービスから帰宅し、義母が夕食を食べさせてくれて、その後(主人の兄も同居しているので)義母と義兄の二人で息子をお風呂に入れてくれていました。「何度か吐いたりしていたけど、大丈夫そうだからお風呂を出た後、寝かせておいた」と聞き、息子の様子を見ていると、やはり何度も吐くのです。吐くといっても口から汚物が出るわけでもなく、気持ち悪そうな表情で分泌物を吐いたりしばらくして落ち着いたり・・・を繰り返すのです。「何か悪いものでも食べさせてしまったのかな? 体が冷えたのかな? 何かに感染したのかな?」と頭の中でぐるぐる考えを巡らし、原因を探っていました。
様子が落ち着いた頃、私もお風呂に入ろうとしたその時、息子の呼吸が止まってしまい、みるみる顔が真紫色に。主人は息子が吐いていたものが喉につまり窒息したのかと思い、慌てて体を横向きにして呼吸を促しました。それでも呼吸が戻らず、呼吸停止状態が続きました。アンビューバックを装着しますが、何年も使っていなかったし、気持ちが動転しているので正しい使い方が分からず、すぐに救急車を呼ぶことにしました。
電話をかけた私は頭が真っ白になっていて、自分家の住所をうまく伝えられず、主人に怒鳴られる始末。もう気持ちが焦ってしまい、何もできなくなってしまいました。
しばらくして救急車が着く頃には、呼吸が戻り、少しずつ顔色が平常時の色に戻ってきました。緊急入院をしていつもお世話になっている小児科病棟に行くと、顔馴染みの看護師さんの顔を見て私自身少し安心したのか、ようやくいつもの心の状態に戻れました。
入院をして、血液検査などをするとCRPや膵臓の数値が高く胃腸炎と診断。数値がおさまれば退院できると言われ安心していました。
入院していたある朝、息子の酸素濃度がみるみる低下。すぐに酸素を吸入させるが酸素濃度が上がらず、、、夜勤の看護師さんと当直のドクターが懸命にアンビューバックと心臓マッサージをして呼吸をつなぎます。すぐに主治医を呼び、急いで人工呼吸器を装着することになりました。
目の前で息子に呼吸器が装着されるのは2回目でした。1回目は生まれてすぐの頃。呼吸が薄いと診断され、送管チューブが装着され、「このまま一生人工呼吸器をつけて生きていくことになるかも」とドクターから言われました。当時はそんな現実を受け止められずにいました。
(その後、自発呼吸が出てきて、人工呼吸器をつけずに生活できるようになりました)
入院中に人工呼吸器について考えました。今回もいずれ外して生活できるようになるかもしれない。しかし、今後息子に何が起きるか分からない。もしかしたら在宅で呼吸器を常に装着していなければならなくなるかもしれない。そう考えた時に、在宅に人工呼吸器を持ち帰ることを選択し、入院中にとにかく人工呼吸器のことを学びました。モニターに出てくる医療用語や数値、事態が急変した時の対応方法など、看護師さんに都度聞きながら、毎日手帳に書いて勉強しました。3カ月程入院生活が続きました。


※文中の言葉で医療用語に関して一部「ナース専科」を引用させて頂いております。

「運命とか立命とか宿命とか⑫」に続きます。


いいなと思ったら応援しよう!