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運命とか立命とか宿命とか④

ある日、先生が送管チューブを外した時に、息子がかなり少量ですが、自発呼吸があると気が付いてくれたため、自発呼吸を促し、呼吸器をつけずに生活ができるようにするための訓練を始めてくれました。当時何も分からなかった私にとって、救いの1つでした。

ICUから小児科病棟に移り、周りの赤ちゃんの泣き声に感化されたのか、息子も泣くようになりました。その時はじめて、我が子も他の子供と一緒なんだと感じることができました。小児科に入院している間に在宅看護の色々を学びました。吸引の仕方、胃管チューブから栄養を入れる方法、胃管チューブの入れ方、お風呂の入れ方など。いわゆるそこで「医療的ケア児」という言葉を実感するようになってきたのです。息子は「医療的ケアを必要とする
重症心身障害児」というカテゴリーに入りました。

当時、友達や親戚から息子のことを聞かれ、何と答えていいか分からなかったので、とにかく連絡を取りたくなかった記憶があります。近い親戚には長々と説明して、息子の事情を知ってもらうことができましたが、それ以外は、説明も難しいし、たぶん説明しても分からないだろうな~と思いながら、「元気?可愛いでしょう?」と聞かれ?「ちょっと入院しているけど、元気だよ~。すごい可愛いよ~」とだけ答えていました。
可愛いことは確かなのですが、、、「お母さん」とか「ママ」と呼ばれないし、病院にいる間に、この子は少しずつ成長しているし、抱けないまま、ずっと過ごしていると本当にこの子の母親なのだろうか?と不思議な感覚になっていました。

体調が落ち着いて、数回仮退院を経て、ようやく家で過ごせるようになったのは入院してから4か月経ってからのことでした。家に帰ってから、それまで準備していた赤ちゃん用品はほとんど使うことなく、レンタル品は返却し、それ以外は箱にしまい、代わりに、医療物品が息子の寝ているベッドの周りに置かれるようになりました。

毎日看護に追われていると、息子の子供の部分を見失うことがあります。体調を崩さないようにとか、栄養が摂れるようにとか、排尿、排便がしっかりできるようになどと体調のことばかり気になって、息子の心の部分を気にしないでいた気がします。主人が絵本やモビールの飾りを買ってきてくれたり、靴を買ってきてくれると、「そうか、この子も外に散歩に出かけても良いんだ」とハッと思わせてくれることがありました。
ついつい、病人として見てしまいますが、息子はちゃんと周りから何かを得て、感受性を養い成長しているんだと思いました。

私がとてもラッキーと感じたことは、入院中に息子の障害児における行政の書類申請ができたことです。身体障害者の手帳、療育手帳の申請、福祉器具の補助申請、小児慢性特定疾患の申請など、、、全然よく分からないことばかりでしたが、小児科の息子を担当してくださっていた看護師さんが、そういうことに詳しい方だったので、細やかに手引きしてくださいました。
★この経験に関しては、また今度書かせていただきます。

息子は、母乳やミルクを口で吸うことができません。しかし、病院で「飲み込む訓練をすることはできます。」と言われ、入院中からミルクを飲む練習を始めました。これを嚥下訓練と言うそうです。家に戻ってからも、ミルクをスプーンですくってちょっとずつ舐めて飲むことを繰り返し行っていました。そのうち、量が少し増えてくるとトロミをつけて、飲み込む練習になっていきました。

しばらくすると、逆流性食道炎や肺炎を繰り返し、ついに、「気管切開」を検討するよう先生から言われるようになりました。食べさせたい!でも飲み込んだものが気管に入って肺炎になってしまう・・・決断を迫られます。
息子の場合、気管切開といっても「口頭分離術」といって完全に食道と気道を分離させる手術になります。ということは、、、術後、一生声が出せません。これを覚悟できるかどうかなのです。

息子から何を奪うことが良いのか?何を残してあげることが幸せなのか?と考えます。私と主人の決断でもあり、息子の人生を決定させることでもあり、この子の将来をどう創り出すかということなのです。
だから一生懸命考えます。そして、最後は息子の可能性を信じるに尽きます。

そして、2歳の時、口頭分離と胃ろうの手術をしました。

「運命とか立命とか宿命とか⑤」に続きます。


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