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運命とか立命とか宿命とか⑥

息子は2歳の時に「口頭分離手術」という手術をしました。前回の話では手術後の話を書いてしまいましたが、「口頭分離手術」とはつまり、気道と食道を分離して、口からは食道のみ繋げ、食べたものは胃に行くようになっていて、首に穴を空けて、そこから気道を繋げて首の穴で呼吸をし、肺に行くようになっているそうです。この手術の説明を聞くまで人間の体でこんなことができるなんて思いもしませんでしたし、すごい技術だなと驚くばかりでした。

手術後、息子は体調が落ち着いてからいよいよ幼稚園に行くことになります。それも色々大変な道のりでした(^^;)入退院を繰り返していたので、すでに3歳の6月になっていました。入園の時期ではないので、何から準備をして良いか分からず、生まれた時に市役所からもらったパンフレットを頼りに、まず市役所の子育て支援課に行ってみました。しかし、窓口の方に息子のことを言うと、保育園の入園は難しいと言われ、幼稚園を探してみてくださいと言われました。どのように探したら良いか聞くと、「分からない」とのこと。
(今思えば、その窓口の隣にあった障がい福祉課に尋ねていれば良かった)
たしかに市の管轄である保育園以外は分からないと言うはず。にしても、障がい児の親になって初めて知ったことは、、、
「自分の道は自分で見つけていかないと無い!」ということ。

当時リハビリで通っていた所に“医療型児童発達支援センター”があったので、そこに通うことにしました。色々と調べると息子のように、重度心身障がい児で、医療的ケアを必要とする子供の受け入れは数カ所しかありませんでした。そういったことなども市役所から配布されるガイドブックなどに掲載されているのですが、子供から大人まで、あらゆる障がいに合わせて市で行っているサービスが書かれていて、障がい児を育てて9年目にもなると、ガイドブックの内容の理解ができるのですが、当時は全く分かりませんでした。記載されている用語一つとっても聞き覚えのない言葉ばかりで、そのサービスが自分の息子に適応しているのかどうかなど分かるはずがありません。出産時に渡された子育てブックを何冊も本棚に入れておきましたが、どれも不要となり、自分でいろいろな人と知り合って、聞いて覚えていくしかないんだと実感しました。

医療型児童発達支援センターに入園すると、先生が必ず子供一人に一人の先生がついてくれて毎日みてくれます。看護師さんも常時居てくれて体調面をサポートしてくれます。ここのセンターは医療型なので医師も常駐しているので、何かあった時には対応してくれます。
大変なのは、毎日20分かけて送迎すること。医療ケア児はバスの送迎に乗れないので、家族がします。(これは学校に入学しても同じ。県の方で決められたものなのだそうです。他県では医療ケア児でも送迎バスに乗れる環境を作っているところもあるそうです。看護師の確保が難しかったり、色々な問題解決が必要なので、まだまだクリアしている県は少ないそうです。)当時会社勤務していたので、お迎えは同居している義母にお願いしていました。

おやつ作りをしたり、夏にはプールに入ったり、工作したり、家ではなかなかできなかったことを体験できて、息子も最初は心を閉ざし、なかなか目を開けなかったのですが、少しずつ楽しいということが分かり、いろんなことに笑ったり泣いたりと感情を出すようになりました。友達や先生という相手との関係性を感じ取るようになり、社会性を身に着けていくようになったのもこの頃でした。

それと同時に、私も息子のことを話せる相手(先生やママ友)ができたことが何より嬉しかったです。職場では、社員との会話に息子の話も出ますが、やはり共感してもらえることはなく、ただただ大変な子育てをしているようにしか思われない。早くから会社役員の立場になり、経営者の集まりなどに20代の頃から出席していたので、気軽にご飯など食べに行く友達などは少なく、ましてや、健常児の子育てをしている母親の気持ちと私の気持ちは相通じるものは無いものです。

息子が年中の時に、二人目を授かりました。
本当は二人目が欲しかったけど、怖いという気持ちもありました。もう一人障がい児が生まれたら、私はその現実をどう受け入れるのか、、、それはそれは悩みました。しかし、ある日主人が言いました。「もしもう一人障がいを持って生まれたら、自分たち親が亡くなった後、二人はもしかしたら同じ施設で一緒に暮らせるかもしれないじゃん。そしたら二人は安心じゃない?」と言いました。主人には大した悩みではなかったのかもしれません。主人はいつも子供たちを中心に考えていて、どんな状況になったとしても、迷うことなく、そのありのままを受け入れられる器があるのだと思いました。そんな言葉を聞いてから、私の気持ちは軽くなり、二人目が生まれるのを心から楽しみになりました。一人目の時と違って、高齢出産です。前回より体調に気を使い、丁寧に生活をしていきました。
息子はお腹の中でそれほど動かず、静かな方でした。二人目は女の子でしたが、とても元気でお腹の中で絶えず動き回ってました。

臨月を迎え、いつ生まれてきても良いという時期になりました。ある日の夜、いつも以上にお腹の中で子供が暴れている様子でした。元気だなぁなんて感じながら、ベッドに入りました。その日の夢はとても怖い夢を見ました。たくさんの刃物に切られる夢を見ました。そして次の日、、、。

「運命とか立命とか宿命とか⑦」に続きます。


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