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中学時代の私

こんにちは
皆さんいかがお過ごしでしょうか。

大変な状況ではございますが、乗り越えていきましょう。

今回は私の中学校時代をお話ししたいと思います。

・バスケ部
・陸上競技に転向
・全国大会出場


バスケ部

中学校に入学し、初めに入った部活はバスケ部でした。
兄がバスケをやっていたこともあり、スラムダンクの漫画も読んでいたので、部活はバスケ部に入ろうとすぐ決めていました。

そこで、すぐ壁に立ちはかだりました。
聴覚障がいを持っている私にとって、体育館ではドリブルの音や、バスケ部や他の部活動での掛け声などが響き、コミュニケーションを取ることが、とても難しかったです。
先生の指示の声が聞こえなければ、先輩方々の指示も聞こえず、同級生に何度も聞きまくっていました。
試合での応援でも、セリフを覚えればいいですが、誰の名前を言っているのか聞き取れず、大きい声で応援ができませんでした。
その事を、同級生には言えず「なんで声出さないんだよ」と言われたことを今でも鮮明に覚えています。

そういうこともあり、好きだったバスケに対し、情熱が冷めてしまいました。そして退部することになります。


陸上競技に転向

とある日、テレビで為末大さんの特集を見たことがあります。
その時に、陸上競技であれば個人種目だし、バスケのような団体種目とは違って、自分らしくスポーツに打ち込めるのかなと考えました。
そして同級生にも陸上部に誘ってくれたので、入部を決めました。
途中入部にも関わらず、先輩方々も含め、歓迎してくれたので、嬉しいというよりも、ホッと安心しました。

種目は長距離をやることになったのですが、初めは全く練習についていけず、置いていかれる日々が続きます。
集団からどんどん引き離されていき、悔しい思いをたくさんしてきました。
それでも諦めずに、走って走って、走りまくりました。
そうすると、練習についていけるようになり、気づいたら陸上部(長距離)の中で、トップに立っていました。(自分で言うのもなんですが・・・。)


全国大会出場

中学3年生になり、短距離だったH・Mくんと全国大会を目指そうと、2人で大きい目標を立てました。
県総体にすら出たこともありませんでしたが、やるからにはやれることをやろうと決めたのです。
普段の練習だけでは、全国大会には到底届かないと思っていたので、朝練と午後練だけではなく、昼には給食を食べ終わった後、部室に向かいウェイトトレーニング。午後練が終わった後には、家に帰宅後、毎日10キロタイムトライアルをしていました。

それを繰り返した結果、初めて県総体に出場したにも関わらず、優勝してしまったのです。そして全国大会出場が決定しました。
そこで改めて、走ることの楽しさ。そして自分の居場所はここだったんだなと思いました。

「陸上部に入って良かった」

そう思えた瞬間でした。

あの時の努力があるから今の私がある。
私の人生が大きく変わった中学時代だったと思います。


写真は印旛郡総体800m
タイムは2分00秒08でした。

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