まずは…自己紹介
おはようございます。
兵庫で三姉妹の末っ子としてオギャーと生まれおそらく3歳くらいから父は単身赴任で兵庫に残り母と私たち姉妹は父のお母さんが居る鹿児島へ。
そしてその父のお母さんと同居。
父なしで父の母親と同居させられてた母。
幼いながらに、意地の悪いおばあちゃんと暮らしてる母を可哀想に思っていた。
何年単身赴任をしたのだろう。
私小4くらいで兵庫でやってた会社を鹿児島に持って来た。
会社を持って来たのは良いが…一緒に「事務員」と言う名の「愛人」も連れて来た笑
私なんて子供だったから…純粋に事務員さんだと思っていた。笑
母は私を産んだ頃から精神疾患…なんだろう、育児ノイローゼ的なもんだったんだろうか…
兵庫に居た時からおかしくはなっていたんだろうけど…正直記憶はなく、聞いた話しで記憶が構成されている。
私を道連れに死のうと3歳くらいの私に「一緒に死のうか」って包丁を向けたら私に「嫌っ!」って言われて我に帰った…て中学生になった私に母本人が言うてたけど!
あかんやろ!言うたらあかんやろ!笑
そんなんで傷つかない娘でよかったな…
父のお母さんは本当に意地悪だった気がする。
よく覚えてないけど…
お父さんのお姉ちゃんとお父さんのお母さん達から…
家族会議とか言うて、めっちゃ攻められていた記憶がある。
そのあと、お父さんのおばあちゃんは家を出て行って一人暮らしをしていた。
最初からそうしとけばよかったんだよ。元気だったんだし。
父も自分は兵庫に居ながら愛人とよろしくやってんのに嫁に自分の母親の世話させるなんてどうかしてるぜ!って子供ながらに思っていた。
母は、精神的な疾患がなんかめっちゃ酷くなっていた気がする。精神病院…入退院繰り返していた。
そんな中…入院中の母、小学生の私は地元の祭りに行きたくて父に連れて行ってとお願いした。
父は、父の会社の事務員さんも一緒に私を祭りに連れて行ってくれた。その頃の記憶はもうバッチリある。
私なんて純粋な子供だし…今なら愛人って分かるんだろうけど、当時小学生3年生くらい。
入退中の母に言うよね…
「お父さんと事務員さんと祭り行った!」って。
言っちゃうよね。素直だもん!笑笑
そしたら母に言われたよね。
「あんたは裏切りモノだ!」って。笑
普通言う??小学生の娘に…
父親の愛人なんて知らんがな!
そんなんで母親が病んでるなんて、知らんがな!!
姉たちは知ってたみたい。
事務員から父に送られて来た手紙が…愛人からのだって事も!
それを破り捨てたのも!
それを拾い上げて広げて繋ぎ合わせてダンボールにくっつけてあったのはなんとなく記憶に残ってる笑笑
時代よね!
LINEじゃないのよ!手紙なのよ!
恋文なのよ!
時系列はバラバラだけど、精神崩壊した母は一度行方不明になって捜索願いをだされた事もあった。
東京で行動が不審な母は保護されて警察から連絡来た父が東京まで迎えに行った事もあったな。
とは、言え母がただただ可哀想か…っちゅーとそうでもなくて…母は父と離婚寸前になるとパチンコ中毒へと変貌をとげた!
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