【母と私の備忘録】抗がん剤#1
2021年3月、母の抗がん剤が始まった。全部で6回。定期の検査結果でCTにて疑い、さらにPETCTで初期癌が腹部や膣にみられ肺にも疑いが及んで、局所的な放射線治療より、胸のクラスターにも効果がある可能性がある抗がん剤治療を選択することになった。
<決定権は当事者にあり>
正直抗がん剤は個人的には疑問が多い療法でもあるが、素人が一つの民間療法に頼りやり切ることはなかなか厳しい。それになにより「こんな歳になっても治療できる手立てがあるのはありがたいやってみたい」と即答で目をキラキラさせている当事者の母がいるた。サポーターの我々は聞き齧りの程度の知識でそれを否定することはできなかった。
かくして母との抗がん剤治療はスタートした。
<もともと抗がん剤は術後にすぐ進められていた>
これより1年前に子宮体癌がみつかり開腹手術でステージ3で全摘。さらには、7月に乳がんもみつかってこちらはかなり初期のもので左3センチほど摘出した。開腹の手術で摘出した細胞などを病理検査に出した結果はクラスター(癌になりそうな細胞たち)がいっぱいあったため、術後の抗がん剤治療を進められた。
大病の経験が初回ということ、父が亡くなるまでの経過と体験して、一旦は術後の改善、体力の復活。という回復し日常をすごす体験もしてもらいたかった。
とはいえ一年の経過をみてがん細胞が育ったことは事実となり、経過をみようと話して私が決めたことを、個人的には後悔することになった。
ところが気持ちを汲んだ母は、にっこり笑って「日常生活がああしておくれることがわかったことはとても自分の治療にはプラスだからおかあさんちっとも後悔してないの。あの判断でよかったのよ」と言う言葉がきけて、気持ちが軽くなった。病人当事者に励まされるってどうよと思ったがこれはこれで素直にありがたかった。
<抗がん剤のサイクル>
友人が乳がんの抗がん剤投与をしているときは12回だった。抗がん剤の投与薬のないようによって回数も副作用もことなるらしい。
当日採決して、状況がよければそのまま6時間ぐらいにかけて点滴で投与する。1回目だけは2週間経過観測のため入院。2回目以降は全て通院になり以下の3ステップが遂行されることになった
1)抗がん剤投与 :採決検査→ヒアリング→採決結果投与決定→投薬投与6時間→帰宅
2)その2日後注射のため通院:投与される抗がん剤は骨髄で血液を作る作用が阻害されやすくなるためそれを防ぐための注射が行われる。午前中で注射のみ
3)3週間後採血と問診:主治医と面談して採血数値と現状のカラダの変化などをヒアリングしてもらって翌週次の抗がん剤投与ができるかどうかを決定する
並走者の私は、1)のあと3日ぐらいは泊まることにして、3)はその後もっていくことに1)は昼食が必要になるので、炊き立ての玄米粥と梅干しを持参することにした。経過や副作用の状況により宿泊など増やすことも考慮した。
別のタイミングで詳しくは書くが結局は当事者がしんどいところに「大丈夫?」とかしか聞きようのない私がいても、闘病者がただただイラッとするだけだったので。ゆっくりとでも日常を自力でやるという母のスタイルがその後完成していった。
そんなわけで私たちはスタート前にこんなことを母と決めてみた
<抗がん剤をスタートさせるにあたり二人で決めたこと>
・すぐその気になり、暗示にかかりやすい親子なので、ドラマなどでみてついた闘病のイメージを先行させないこと
・人の体験談も参考にはなるが、更年期も個体差なので、抗がん剤も当然個体差があると思うこと
・症状が出る前に悩むことはせず、副作用が出たものに都度対処する対策スタイルで
・遠隔になりがたちなので、朝の9時半と夕方の17時を目安にお互いに連絡を取り合う(折り返しが必要なら留守電に残す)
・治療に向けて明確なゴールを持つ「孫の初任給で歌舞伎を見にいく」「来年の3月は温泉に連泊で養生にいく(2年連続になった癌治療とおさらばする」
・具合が悪くなったり、気分が落ち込んだら上のゴールを思い出して、そのためにできることを1っこでも小さくてもいいからできたら、全力で褒めること(これはお互いに)
・できないことはスルーして、常にできることに注目しこれも絶賛する
都度対処とか個体差でわからんことに思い悩み、先行で気分を落ち込ませることほどつまらないものはない。そんな話をして、母と私の抗がん剤治療対策はいよいよスタートするのでありました。
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