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街の山小屋🌿立ち上げ日記              私が、人と出会いたい。                  青空の下で話す      仲間に出会いたい。        

コロナ禍で言われ始めた
「不要不急」という言葉。

私は、
気づかないうちに
この言葉に縛られていた。

生活の中で、
森をおさんぽしたり、
自然を楽しんだりすることは、
贅沢な時間なのじゃないか?

もしかして
コロナ禍じゃなくても、
不要不急なこととして、
心の奥では思っていたかも
しれない。。

自然を感じ、
自然から学んでいく時間は
私に必要なことなのに、
だんだんと
それに自信がなくなって。

誰かの不要不急が、
私の不要不急になっていたのだなあと思う。

引っ越していなければ、
「森あそび、おさんぽ、外でお茶会」
を日常で楽しむ大人の仲間がいた。
その状況なら、
コロナ禍でもたぶんおさんぽ会を
継続していたと思う。

でもコロナ禍に引っ越しをして、
全部スタートラインの私。
なんにもできなかった。
なにかに参加すらできなかった。
不要不急の言葉を乗り越える
ことができなかった。

コロナ禍の「不要不急」という
言葉にすべて自分のことを停止…。
計らずも自分ってなんだろう?
自然を楽しむってなんだろう?
自然に学ぶってなんだろう?
を問い直す時間になった。

そして、もう一つ気づいたことがある。

「私は、かなり怖がりなんだ」
一人じゃハイキングにすらいけない。
でも、自然の中を歩きたい。
一人じゃ外でお茶も飲めない。
でも、自然の中でゆっくりと
考え事をしたい。
一人じゃ新しい仲間に入るのに
ものすごく時間をかかるんだ。
自分を真ん中にするような
お誘いが…
怖くてできないんだ。

転勤族で平気だったのは…
親に守られていたから。
主人の職場の人だけの社宅に
守られていたから。
子どもが知らない人との
橋渡しをしてくれてたから。

私に必要なことは、
みんなに必要なこと
じゃないかもしれない。
私が怖いことは
みんなに怖いことじゃないかもしれない。

でも、
私だけじゃないかもね。

街の山小屋 管理人
始めてみた私の頭の中。



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