見出し画像

微笑みから湧き出る生きる力

ご無沙汰しております。
いちご会の実務に追われて、noteを打っていただく時間がありません。いつも頭では前向きなことを書きたいと考えていますが、明るい言葉が浮かんできません。

最近はテレビを見ると、心が苦しくなり見ないようにしています。でも現実は知っておかなければいけない、という思いとが戦っています。夜寝る前には新聞を読んでもらったほうが良いかなと思っていますが、ストレッチ体操を行ってベッドにつくと、頭に何も入ってこないような気がして疲れがでます。
こんな時、どこかのテレビで一人の女性がALSという難病にかかり障がいがどんどん重くなってきて、人工呼吸器を付けなければいけなくなったというニュースが流れてきました。彼女は付けないでいようと思っていましたが、お子さんやご主人やヘルパーさんから「生きていかなければいけない」という勇気をもらい、人工呼吸器を付け生きる決心をしたということでした。
今こそこのようなニュースが必要なのではないでしょうか。人にあたたかな心を向けていくことが大切な時です。
彼女のご主人は笑顔がとても可愛くて、あの笑顔を見るとすべてが許されるという微笑みでした。
死ぬ覚悟をした彼女の心を変えていったのは周りの方々の力であり、彼女の生きたいというエネルギーが湧いてきたのです。
私は目に涙が浮かんで、動かない手でも涙を拭きたいと強く思いました。人は生きている限り、生き続けたいという思いを持っているのです。でも命には限りがあり、どうすることもできない時があるのです。
私は生活の100%をケアを受けて生きていますが、コロナにかかったら今のままケアを受けて生きられるのかという不安はあります。元気の良い人たちが生き残った方がよいのではないかと思う時もあり、胸が苦しくなります。でもALSになった彼女の笑顔と旦那様のキューピーちゃんのような愛らしい笑顔を目に浮かべると、(いや、これからも私にはやらなくてはいけない仕事があるのだ)と動かない手で胸を叩いています。
こんな時こそ、障がいの重い人達が強く生きている姿を見せることにより、コロナと戦わなければという気持ちになると思います。


昨日は新人ヘルパーさんにサンマのさばき方を教えました。頭をちょん切り、お腹の方を切り、はらわたを取りました。彼女は20歳であり、さんまの解体は初めてだったそうです。
昨日はさんまパーティーでした。自分の好きな物をヘルパーさんに言い、一緒に作ったりヘルパーさんに預けて私はトイレで踏ん張っている時もあります。そして仕事に来ています。
一番嬉しい時は夕食に3センチのウイスキーを飲むことです。
あまり飲むとヘルパーさん達に抱えていただく時、迷惑をかけるのでなるべく2~3センチと決めています。
好きなおかずを並べると明日も生きるという心が温かくなります。でも時折、寂しくなり好きな人でもいたらいいのになと思います。
でも重度の障がい者はヘルパーさんが常に来てくださっているので、孤独の時間を味わっている暇はあまりないのです。それは良いことでもありますが、たまにはマンションで一人っきりになり、なんでもいいから喚きたい時もあります。
人間は不思議です。
地球が元気になった時、私は片思いの好きな人に会いに行きたいと思います。そして美味しいワインとステーキを食べさせていただくことが楽しみです。
生きるということは、生きる先に楽しみを考えていくことが大切ではないでしょうか。


Noteを書いていますが、あまり年齢の高い人には分からないようです。Noteを見てくださいというと、「ノート?テーブルの上にあるの?どこにあるの?」というちょっとわからない会話になってしまうのです。面白い会話です。
私の周りには若い人が多く、新しいことを教えてくださる人がいます。Noteは書く幅が多いので、やはりブログを書きたいなと思う時があります。


今日の夕食はサラダパーティーです。ケアのとても上手い方が来てくださるので、安心して眠れる日です。命がけで10人前後のヘルパーさん達が来てくださることは、命を支えてくださる神様の手に近いものを感じます。
障がいのある人もない人もコロナにかかるかは0からの始まりなのです。アビガンという薬も出てきたり、ワクチンも研究されてきています。ちょっと早いかなと思いますが、命には代えられません。早く薬を使っている人たちには、試験段階であり頭が下がります。医学というものは実験から始めなければならないことなのです。


私は薬がよく効く体質です。何か協力できることがあれば、したと思います。10年前、悪性リンパ癌にかかりレベル4でした。抗がん剤とリキソサンという点滴を打ち3か月で体中の癌を殺しました。CTを見た医師たちは「これは何が起きたんだ?本当にこれは小山内さんのCTか?あなた本当に小山内さんですか?」と肩を叩かれました。「はい、小山内です。」と答えました。そういうことの出来事の繰り返しで、医学は発達していくのです。リキソサンという点滴は、その頃一本30万円でした。私が癌になる6年前まではリキソサンは保険が適応しませんでした。お金が足りなく黙って頭を下げ病院から出ていく人もいたそうです。私は全国の人が保険料を出してくださったおかげで、今この原稿を書けるのです。ありがとうございました。


もっと政治家さん達が頑張って仕事のない人達に仕事を作ってあげたり、保険を切らないようにしてほしいと思います。今はヘルパー資格のない人達もヘルパーとして働けるそうです。区役所などで相談し、ヘルパーを行ってみませんか?国から出る10万円も大切ですが、仕事の方が良いです。
ヘルパーさん達にマスクを買ってあげたいので、ご協力お願いいたします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?