「見えぬもの」を信頼する力と科学技術
「前例」や「常識」と、いわゆる「奇跡」の境界が、少しずつ解けていっている時代だと感じる。
これはちょっと飛躍した仮説かもしれないが
その境界の変化は、科学技術が進み、人間の能力をAIが補ってくれていることと同期しているように感じる。
というのは
最近いろいろな人と話して、多くの人の間で、ひとりの人間の可能性への期待値が上がっていると感じるから。
こんなこと出来そう!と、肩の力を抜いて思えるのは、
手のひらの中(スマホ)の中でかなりのことが出来てしまうからというのが大きいんじゃないか。
例えばこんな「自撮り写真」は、ほんの2、3分で作れてしまうが、2年前にこれが出来たか?出来なかった。
*写真は私です
なぜこんなことが出来るか。
これが当たり前と思いこまずプロセスに着目するのを忘れないのはとても大事だ。
私は少し前は早すぎる科学技術の進化に怯えていた。
そして、どんなに技術が、時代が進化しても、子育てにおいては人間の根っこから順番に育てるのが大事で、技術の進化についても順番に伝えるのが大事だと思う、それは変わらない。
しかし時代は待ってはくれない。
だから私なりに技術の進化に付き合おうと考え方を変えたら、逆に「見えぬもの」とのつながりを感じるようになってきた。
というのは、可能性の幅を広くして元気な人とたくさん出会えるから。
よい担当さんと巡り会えて話が弾み、想定していたよりも多くの融資を受けられた!とか、
思いもよらない良物件を斡旋してもらえた!とか。
そういった話は結局のところ人間力のなせる技で、科学技術とは対局かもしれないが
こんなことも、こんなことも出来そう!という意識の変化には、激変する世の中も影響しているのではないか。
この早すぎる進化というのにも「見えぬもの」の大いなる計画があるのだろうと思っている。
やっぱりちょっと飛躍しているやろな。