CPFグレナダ派遣までの流れ
前回に続き、今回は派遣要請を受けてからグレナダ侵攻前日までの流れを書いて行きます。
10月23日
要請を受けた米国側は、バルバドス・ブリッジタウンでOECS・ジャマイカ・バルバドスの代表者と会談し、平和維持活動への参加意欲を評価しました。
また、「当初からCPFを作戦に【早期に】関与させることが政治的および外交的に重要である」と主張し、 グレナダ政府の主要施設を保護するための後続部隊としてCPFを使用することが提案されました。
これは、OECS加盟国の各軍が創設5年以内であり練度が低かった為、CPFを戦闘から外し「目に見えるが比較的安全な役割」を与えるとして、グレナダ政府の主要施設を米軍の占領後にCPFが管理するよう手配すると言う物でした。
※ここで言う目に見えるとは、報道関係の事と思われます。
さらに米国側は、CPFをグレナダへの最初の上陸に含め、グレナダ政府の再建において顕著な役割を与えるとしました。