CPFグレナダ派遣までの流れ 追記
今回は、前回書き忘れた事や書ききれなかった事を書きたいと思います。前回と内容が被ったり多少前後したりすると思いますがご了承下さい。
23日米国側は、CPFを米軍指揮系統に統合し、グレナダへの最初の上陸に参加するようOECSへ勧告しました。また米軍は、駐留を短期間なものにし、軍事力の急速な縮小と全軍の移転を想定していたため、米軍撤退後はグレナダ暫定政府とCPFに平和維持義務をするよう課しました。
また、CPFの平和維持活動及び主要施設を警備する際に、アメリカ国防部が『セントジョージのリッチモンドヒル刑務所のグレナダ人警備部隊が、攻撃された場合には囚人を全員殺すように』との命令を受けたとするバルバドス側の証言もありました。
10 月 24 日早々、クリスト小将は、バルバドス及びジャマイカ国防軍並びにOECS地域治安部隊司令官と会談し、全軍が10月25日にグレナダに入り、リッチモンドヒル刑務所、ラジオ・フリー・グレナダ、警察署を占拠している米軍の任務からCPFが引き継ぐよう説得しました。
またこの時クリスト少将は、他のOECS及び友好的な政府の参加者と協力して、 同タスクフォースは「グレナダの民主的政府の回復を支援し、平和維持部隊に必要な後方支援を提供し、米軍とCPFが行ったすべての軍事活動をビデオテープで正式に記録する」としました。
10月24日の午後、メトカーフ副司令官とシュワルツコフ副司令官は、USSグアムに向かう途中に、バルバドス・ブリッジタウンに立ち寄りバルバドス防衛軍のラドヤード・ルイス准将と協議する予定でした。しかし、空港に着くと出迎えたクライスト将軍は、少なくとも 45 分間はルイス准将と連絡が取れないことを伝えると、メトカーフ副司令官はそこまで待ちたくないので、クリスト少将に、ルイス准将がグレンビルもしくはパール飛行場への空輸のためにCPFを編成するのを手伝い、そこからポイントサリンズとセントジョージズに移動し、米軍の囚人警備やその他の警察任務の軽減することを伝えました。
※CPF司令官に任命された、バルバドス防衛軍 ラドヤード・ルイス准将