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夏の読書感想文「さよなら絵梨」

 ※これは漫画「さよなら絵梨」の読書感想文です。さよなら絵梨を読んでから読むことをお勧めしますが、難しい場合は私が書いた「さよなら絵梨、あらすじ。」で妥協しましょう。

 この漫画には基本のコマ割りがある。それは横長の長方形が1ページに縦に4つ並ぶというものだ。ほとんどのページがこのコマ割りになっていることで、主人公がスマホの横画面で撮った動画のコマ送りを見ているような没入感がある。また、同じコマ割りが続くことで、変化があった時には印象に残りやすい。この作品にはいくつか1ページ丸々使ったコマがあるが、どれも印象的な場面になっている。

 また、作者はコマ送りのように感じることを利用した漫画の描き方をしている。大まかな構図や背景は変わらないコマが連続する中で、人物の表情や顔の角度に小さな変化をつけて、まるで映画を見ているかのような印象を与えている。

 そんな絵のうまい作者だが、セリフにもいくつも繊細な仕掛けがある。例えば、物語の序盤で優太が絵梨に、映画で戦いに勝利した時に小さくピースをする癖があると指摘する場面がある。そして物語終盤、映画の上映が大成功した時に、優太は一人でこっそりピースをしている。長く一緒に過ごす中で絵梨の癖がうつったのか、絵梨への追悼の意を表しているのかは想像するしかないが、じっくり読むことで見えてくる仕掛けが多くある。

 映画の脚本が出来た後に、絵梨、優太、優太の父親の3人で食事をする場面がある。父親は優太がまた傷つくかもしれないから、もう映画を撮るのはやめてくれ、優太に近づかないでくれと怒るのだが、実は映画のワンシーンを撮影していた、という場面である。カットが入った後に絵梨は、本当に撮って良いのかと父親に確認する。そこでの父親のセリフが好きだ。友達の受け売りなんだけど、と前置きして父親はこう言う。

「創作って受け手が抱えている問題に踏み込んで、笑わせたり泣かせたりするモンでしょ?」
「作り手も傷つかないとフェアじゃないよね」

私も今こうして文章を書いている創作者の端くれとして、このセリフは心に留めておきたいと思っている。

 次に絵梨が死ぬとわかって落ち込む優太に、父親が母親の最期を見せる場面が印象に残っている。優太が逃げ出したこと知って、父親が回すカメラの前、1ページ丸々使ったコマで母親が一言。

「ホント最後まで使えない子」

物語冒頭の映画での優しくて明るい母親を見ていた読者はここで驚きの事実を知る。優太の母親は冷酷で厳しく、時には優太に暴力を振るうこともあったことを。父親はそんな事実から目を逸らしていたことを謝罪する。そして映画の中の母親は、綺麗な部分だけしか見えなくて良いお母さんだったと言う。

「優太は人をどんな風に思い出すか、自分で決める力があるんだよ。」
「みんながどういう風に絵梨ちゃんを思い出すのか、絵梨ちゃんは優太に決めて欲しかったんじゃないかな。」

読んでいる私たちが母親を良いお母さんだと思っていたのだから、このセリフにはとても説得力がある。母親の冷たい言葉と表情、父親の言葉の良さと構成の上手さ。初めて読んだ時は鳥肌が立ったことを覚えている。

 そして映画上映後、絵梨の友達から美化しすぎだと言われるが、友達は続いてこう言う。

「だけど、私これからもあの絵梨を思い出す。ありがとう。」

過去を美化することが正しいのかどうかはわからない。今はその疑問に答えを出すつもりもない。ただ、完璧な人間など存在しない。それならせめて思い出す時は美しい姿がいい。私はそう思う。

 映画の大成功と裏腹に前に進むことができなかった優太。結婚し子どもが生まれるが、その家族と父親を事故で失うという悲劇。死ぬことを決めた優太は、映画が酷評された時のようにまた動画を撮る。母や絵梨の死もカメラ越しだった優太は、目の前の問題を客観視する癖がついており、カメラの前でしか本音を語ることができない。この部分は個人的に共感するところがあり、悲しいけれど好きな場面だ。

 そして、絵梨がそのままの姿で生きているというどんでん返しにつながる。この場面のファンタジーがひとつまみ足りないという絵梨のセリフがラストシーンに繋がるところや、別れ際の二人の会話が本当に上手くて美しい。吸血鬼の絵梨に対して優太は、周りの人が皆自分より先に死ぬことに絶望しないのかと聞く。これは周りの人を全て失った優太の心からの疑問だろう。それに対して絵梨はこう答える。

「大丈夫、私にはこの映画があるから。」
「見る度に貴方に会える、私が何度貴方を忘れても、何度でもまた思い出す。」
「それって素敵な事じゃない?」

見開き2ページで2コマ。右のページに現在の優太の横顔と画面に映る映画の中の絵梨、左には今も変わらない絵梨の横顔と、映画の中のまだ若い優太。これほど美しい見開きを私は知らない。そしてセリフはこう続く。

「私、映画は話しながら見たくないの。座る気ない人は帰ってくれない?」

「ああ…さよなら…」

「うん…さよなら」

 そして、大爆発というファンタジーを加えて物語は終わる。果たしてどこまでが現実だったのか。これはもう読者が想像するしかない。そんな終わり方も私は大好きだ。こんなに初めから最後まで鳥肌が立った漫画は他にない。もうとにかく読んでもらうのが一番だ。そして語り合おう。きっと長い夜になるだろう。寝巻きと酒と菓子、あとひとつまみのファンタジーをお忘れなく。

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