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面白さと楽しさ

MGNETの武田です。
今日は「面白い」と「楽しい」の違いを考えて見たので書いてみる。

「面白い」
それはどこまでも客観視し、一歩下がるもしくは一歩先からその物事や事柄を意識し認識し確認している、されている状態。「ああ面白い」このような状況には大抵、中心人物は自分と別だったり、注目すべき対象が人ではなかったりする。そこで用いる言葉として「面白そう」という希望的観測や未来形のほうが扱いやすい傾向がある。すると自らが今経験いている状態よりは初見や新発見、そして俯瞰しているイメージがある。(って感じがします)

「楽しい」
それは今まさに没頭し、その物事や事柄の中心に存在し、自ら関わり続けている状況だろうと思う。「ああ楽しい」こんなふうに感じるときと言えば、友達とカラオケに行っていたり、家族と談笑していたり、大好きな人といる瞬間瞬間だと思う。さらに言うと楽しいなと言う現在進行形と言うよりは、「楽しかった」と過去形で用いることも多い気がする。「へー」という俯瞰的なことよりは、そのことは既に知っていて満足しながら自らを中心に位置しているイメージが強い。(って感じがします)

もちろん両者にも共通点はあるし、どちらにも置き換えれるし、曖昧な表現もある。言い換えることで過去現在未来は行き来できるものの、言い方や使い方で動詞にも形容詞にもなるが、確実に言葉としてイメージは存在する。言葉の印象、個性のようなものかもしれない。そして辿り着いた表現としてはなんとなく…

楽しいって無我夢中。
面白いって興味深々。

MGNETは2011年の創業当時から「モノに、エンターテイメントを。」というコーポレートメッセージを掲げている。この言葉に込めた想いはひとつ。面白さの追求。生み出されたモノに罪はない。けど生み出すことはときに罪深いことがある。でもでも生み出すことは確実にコントロールできる。だとすると生み出す前にある情報(土台や背景)の最適化こそ価値創造の可能性は満ちていて、しっかりと目指すべき到達すべき辿り着くべきことに向かうからこそ生み出されたモノの価値を最大化することができる。と思ってる。生み出す人、生み出すこと、生み出されたモノ、それらが全てハッピーであることが望ましいと思う。みんなが笑顔で喜んでくれていて、称賛し、尊重しあえる状態にまで昇華したい。いつまでもどこまでもモノが大切にされて、ものづくりが多くの人に夢を与える魔法のような存在であって欲しい。

モノやものづくりが持つ機能としての価値。
モノやものづくりが与えてくれる精神的な価値。

それは何にでも言えるかもしれない。何かを知ったり触れたりすることの機能的価値よりも、何かを知りたい、触れたいと思える精神的価値には深みも広がりもあり可能性は無限大だと思っている。これこそエンターテイメントの世界だ。

まず「面白さ」を感じて「楽しさ」に繋がることができたとき、きっとその人にとってモノやものづくりは素敵な存在になる。そう思った。ある意味、金型屋の息子として「今日はない明日の価値」を望んでいたんだろう。

いつまでもそんなモガキにも似た願いを込めて、モノの面白さをこれからも追求したい。

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