十八年
ユーチューブに、『なんばグランド花月チャンネル』というチャンネルがあって、その中に「裏方国宝」という、劇場の裏方さんにフォーカスした企画があるんです。撮影や編集を担当されているのは、なんばグランド花月の舞台監督・前田拓也さん。その前田さんに声をかけていただき、「裏方国宝」でちょっとだけ喋ってきました。時間にして十分少々のトーク。問題発言がなければ、いずれアップされると思います。
動画の中でも言っていますが、僕は吉本新喜劇を十八年書いています。言い切っちゃいますが、もうベテランです。だって十八年だもの。まあ、アカギと鷲巣の麻雀よりは短いけれども。
駆け出しの頃は本当に無我夢中でした。プロットをひねり出すのも四苦八苦で、台本を書くスピードも遅かった。二、三行書いては悩み、四、五行書いてはやっぱり削り、の繰り返し。新人の頃は、座員さんや裏方さんにも馴染んでないから、楽屋でも稽古場でも舞台袖でもずっと緊張してました。
それが三年目くらいですかね。だんだん台本を書く作業にも慣れてきて、スピードも上がってきます。五年目くらいには、「あ、俺もう新喜劇の台本のこと大体理解したわ」「もうどんなタイプの話でも書けるわ」なんてことまで思い始めるんですが、これがとんだ勘違いで、すぐにまた、「やっぱ全然わかってねえわ」「勉強すること多いわ」と認識を改めることになります。そうやって、「わかった!」「いや、まだまだだ」を繰り返しながら、気がつけば十八年経っておりました。
十八年の間で、「脚本家です」と自称したことは一度もありません。「構成作家です」とも、まず言わない。ま、銀行で口座作る時とかは、めんどくさいから「構成作家です」って言っちゃいますけど。
自分の仕事について話すときは、「吉本新喜劇を書いています」と言うことがほとんどです。セリフとト書きで構成されたものを書いているのだから、それはまさしく「脚本」に他ならないのですが、自分が書いているものが何かと問われたら、「台本」と答える方がしっくりくる。劇場で役者が演じるのが脚本で、寄席小屋で芸人がやるのは台本。僕はそういうイメージを持っています。
吉本新喜劇の作家という仕事に思いを致す時、僕はいつも「自虐」と「自負」という二つの言葉が胸に浮かびます。演劇とか脚本とか、そんなカッチリした大層なもんは書いてまへん。時にはセリフ忘れたり、出トチる人もいる劇団ですわ。筋書きも少々強引な時があります。その辺、大目に見たってください――そんな、自虐風味の前置きをしつつ、でも。
でも、満席のなんばグランド花月、九百人近いお客さんを――ま、今はコロナでそれは果たせませんが――四十五分、大爆笑させまっせ。時には泣かせまっせ。たとえ誰かがセリフ忘れても、出トチっても、それを瞬時に笑いに変える腕のある集団でっせ。そんな吉本新喜劇の台本を書く人間の、自分は一人なんだと思う時、僕は誇らしい気持ちになります。
長く、読売新聞の「編集手帳」を書いてこられた、竹内政明さんの文章に、こういうものがあります。
ノーベル物理学者の小柴昌俊さんは自分を「実験屋」と呼ぶ。歌手の都はるみさんは「歌屋」を自称する。映画監督は「活動屋」を、エンジニアは「技術屋」を名乗る。プロの世界には、卑下を装った矜持の自称がある。
「台本書き(ホンかき)」という呼称。最近はあまり耳にしませんが、僕は好きです。桑原和男師匠に、時々「おい、ホン書き」とか「ホン書きさん」なんて呼ばれることがありました。師匠に名前を覚えてもらってないことよりも、「あ、俺、いま、なんばグランド花月のホン書きなんだ」と、そちらの感慨の方が強かったものです。
台本書き、十八年。自虐と自負を胸に、もう少しだけ続けていけたら、と思います。