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議員経験が長ければ長いほど足かせになる

一昨日は、私と同じく郡山市長選挙に出馬する髙橋翔のYouTubeLIVEに参加しました。そのうちの15分ほどがアップされていますので以下をご覧ください。



政治に絶望する若者、関心のない人々がずっとこの時代には存在しているわけで、郡山市長選挙も投票率が4割を切る常態です。


そんな中、若者から政治に対する諦めの意見がありました。

私もそれに共鳴する者です。


この後、魁太郎が酔っぱらっているから彼はミュートにされて、、、、


そんな中、私が述べたのは以下の通りです。


「議員の経験がないと市長になるべきではない」「お前ら実績が何もないじゃないか」

との意見が最近よく聞かれますが、私はそうは思いません。


「県議会議員だとか市議会議員を何期も務めた人が市長になるべきだ」と言いますが、私の経験上、それはよろしくないと考えます。


私は24歳の時から政治家になろうと思って、同年代の若者と一緒に政治に希望を志しました。私以外の人間はほとんど当選を続け、今や議長経験者もいます。だけれども、その当時に志した斬新な政治改革・住民のための自治なんて、もう今はみんなその精神が失われているのです。すでに彼らはごく普通の政治家に成り下がっています。というよりも政治屋でしょう。


若い頃はみんな「しがらみのない政治」などと称して、立候補して議員になりますが、そうやって当選回数を重ねるうちに、有権者の心から離れて、政治特有の議会慣習に飲み込まれ、一部の利権代弁者になっていきます。


それは選挙のためにそうなっていきます。そうやって、主権者全体の利益を考えなくなります。なにしろ次の自分の選挙のことが大事ですから、そうなっていくのも無理がありません。


私が提唱する経済政策は、そんなことがなくてもまっとうな政治家が当選できるシステムです。


今のままでは、議員経験がないと市長をやっちゃいけないなんて、そんな理屈が平気でまかり通るのです。



しかし、だからと言って、議員経験に溺れて、既存のことしかできず、一部の利権政治屋になっているような人たちをも許す必要があります。


それは有権者がこれまで求めてきたからであって、そうしなくては生きていけない社会だったからです。


それをこれからは、しなくてもいい経済社会にしていけばいいだけです。その方法こそが「腐るお金」「減価する通貨」と、若者が自殺をしなくても生きていこうという希望を持てる仕組みなのです。

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