長女の自殺から郡山市長選出馬を決意した経緯

【私が入院中の時の妃皇子】

昨年12月10日に起きた私の緊急入院では、宮城県塩竈市の病院に入れられた。もはや命は危ない、死の危険性があるということで、郡山から急遽、我が子、妃皇子(ひみこ)・舎利子(しゃりこ)・成月日(なつに)の三人が駆け付けた。


私は集中治療室に入れられて、体中にいろんなものがつけられた。鼻の孔にもなんかチューブみたいなのを入れられ、よく死に間際に取り付けられる心電図みたいなものを体中に巻き付けられていた。


CRP値が著しく高くあって、その膿を追い出す抗生物質を打とうにも、血圧が低下しているので、不可能であるのでじっと待つしかないということになった。


なにしろ、その日のYahoo!ニュースで同様の病状の人に無理やり抗生物質を打ち込んで死亡した報道があった。


それを見ていた私の担当医は、抗生物質を打ち込むことを中止した。結果的に判断が正しかったが、その時の私の血圧はどんどん下がっていっていた。


その低すぎる血圧の数値を見るのも嫌だったのでいくつくらいの血圧だったのかは覚えていない。


まあこれで死ぬんだろうなと思ったし、やり遂げようと思った政治目標すなわち減価する通貨・腐るお金を用いて、人々を幸せにするんだという目的、さらに直接民主制は、どうやら今世では実現できなさそうなので、何度か生まれ変わってからやればいいやという感覚が流れていた。


とりあえず寝ておけば、痛がらずに死ねるだろうと。


【死ぬ覚悟はある】

そうしたら見舞いにきた長女・妃皇子は「パパは死ぬ覚悟ができてるのね」と改めて確認してきたので、その通りだと応えた。


なので、これで人生最期のつもりだったのだが、担当外科医は一か八かだったのか、血圧を上げる点滴を打つというので了承した。その点滴も結局は血圧がある程度ないと送り込めないので、血圧が少し上がってから注入がなされた。


血圧は正常とまではいかないものの、なんとかこれでいけるだろうとして抗生物質を点滴で流して、三日後くらいに集中治療室を出て通常の入院となった。あとは一日に朝昼晩の三回抗生物質を点滴で注入されたが、回復には一か月ほどかかった。


この間に、妃皇子は合計三回お見舞いに来てくれて、私の宮城県利府町の宿舎を掃除して、衣類も洗濯をしてくれて、引っ越しもしてくれた。入院中で私は何も動けなかったので助かった。



【退院直前に自殺した妃皇子・心茉】

だが、退院予定の三日前にシングルマザーである妃皇子は、彼女の子であり、私の孫である心茉とともに自殺した。このことにより医師は3日早く退院させてくれた。私は急いで郡山に戻ったが、その途中、すでに亡くなっていることが郡山警察署からの電話連絡があった。


妃皇子の友人らによると原因は失恋のようだが、将来に対する不安もあったという。妃皇子は21歳、心茉は2歳半だった。


それにしても、そのような人生の壁で自ら命を絶つような性格の女ではない。


親から見てみると、もしかして見過ごしていることがあるのかもしれないが、お見舞いに来た三度も明るい笑顔であったし、家族内のLINEでも生きていくことにやる気であり、高卒認定試験を受かるために、私に古文や数学の質問もしてきている。


そして何より彼女の生き甲斐は自分の愛娘である心茉を育てることであり、毎日がその子育てで嬉しい気持ちでいっぱいで、彼女のスマホにもそんな動画ばかりが、自殺直前の日まで残されている。


【自殺の要因】

妃皇子の友人たちに聴けば、妃皇子が付き合っていると思っていた「彼氏」には女がいたらしく、それが大きなショックだったらしい。それが成人式の日に判明したらしい。


元夫と別れた後、自衛官と付き合ったが、ここでも失恋し、やっと本物の素敵な男性に出会えたと思ったら、大きな裏切りを受けたというわけだ。そして、その復讐のために何かをするということが、友人にも、その男の元へメールとして送っているのを先日発見した。


そこには「3人の命をあなたが奪ったことを忘れないでね」と書いてあった。


3人とはどういうことなのか、頭をひねらせたが、意味がわからなかった。後日になって、妃皇子の友人たちに聴いてみると、妃皇子のお腹の中に赤ちゃんがいたとのことである。ただし、妃皇子の遺書には、その男への復讐だったということは一切書いていない。理由は言えないということだけ書いてあった。


【復讐のための自殺とは思えない】

妃皇子の性格からすると絶対に妊娠中絶は許さないということを兼ねてから言っていたから、自ら命を絶てばいいと思ったのだろうか。しかし、彼女の性格からすると、それでも産んで育てたと思う。旦那がいようがいまいが、子どもをどれだけでも愛し、子育てで苦悩するなんてことは全くなく、育児ノイローゼとは全く無縁で、子どもを可愛がり、愛を徹底的に降り注げる性格だったからだ。


自殺直後は私もショックにより、ほとんど何も手がつかず、物事を考えられなかった。今、冷静になって考えてみると、本当に不思議で仕方ない。


【人間には決められた寿命があるのか】

やはり人間には、若くても寿命というものがあって、生まれる前から人生の設計に入っているのではないかと、妃皇子と心茉が火葬される数日前になんとなく思っていた。



不安にこたえる「寿命」の研究 それは初めから決まっているんです

という記事を読んでみると、宗教家はおろか、医師もまた、そういう考えに至らざるをえないという人が多い。


そんな昨日、瞑想していてふと湧いてきたのが、そういう結論であった。


冒頭述べたように、私はもう人生を終わりにするつもりだった。今世では私が20代のときから考えてきた世直しについてもう果たし得ないからである。これがなぜか逆転して、命を新たにいただいたのか、若しくはこれは決まっていたのか。だとすると、妃皇子と心茉の生命タイムリミットも決まっていたのではないかと思う。


【寿命タイマーが切れた日】

なぜそんなタイムリミットを決めていたのかは完全に腑に落ちる。私はもう自分の政治目標を諦めて、残りの人生時間をつぶすつもりだったが、妃皇子らの死によって呼び起こされた。これは死ぬわけにはいかないし、政治目標を達成しなければならないと。なぜならば、私は妃皇子には、父が死んだらこういう世の中にするためになんとかしてくれと伝えており、その経済政策の内容については小さいころから説明し、21歳になった昨今においてはほぼ理解をするようになっていたからだ。だから次世代がやればいいと思っていた。年の順にどうせ死ぬんだろうと思っていた。


だが、もう順番は狂った。自ら今世でやらねばならなくなったのだ。


それは我々が生まれる前に二人で決めていたことなのかもしれない。心茉も同様に勉強にきたのだろう。なにかの準備のために。


だから私はその「彼氏」を恨むつもりもない。むしろ、この人が自分のせいでいろいろな人を悲しませたことで落ち込むのではないかとかを心配する。気にせず、好きなように生きることがよい。運命に巻き込まれただけだと考えればよい。人はみな集合意識を持っている。やるほうもやられるほうも同じ立場にある。だから人を憎むことや妬むことは、自らを傷つけているのと同じことなのだ。


そこから考えれば、私が亡くなるはずだったのに、それ以降、3度も妃皇子と逢うことができて、電話でも話をして、LINEでも会話をしたのだから、ものすごく幸せなことだった。


【郡山市長選立候補の決意】


そして、妃皇子には背中を押されたわけだ。再び政治活動で人々を幸せにしようということに。


今や私利私欲の政治家ばかりで、もう愛想がつきたし、選挙のための選挙みたいなことをするのはもう嫌だから足を洗ったのだが、妃皇子と心茉を失った今はそうは言っていられない。


というのが、今回の四月二十日投票の郡山市長選挙に出馬しようとした理由です。








いいなと思ったら応援しよう!