ゴナは親に殺されて死んだ
ゴナは死んだ。
バブル・平成のノスタルジーに浸る大人がどう言おうとも、ゴナは死んだ。いや、親である写研に殺されたのだ。
使われない書体・フォントというのは、段々古くなっていく。
ゴナは、かつて日本で見ない日はなかった、最もポピュラーなフォントであった。
雑誌、広告コピー、テレビCM、屋外看板…当時の書籍を見返すと、必ず用いられているのがゴナである。
古くなる原理
フォントはその時代の価値観や技術、流行を反映するもの。
頻繁に使用されることで、視覚的に「現在のもの」として認識される。
一方で、使われなくなった書体は、徐々に視覚的な記憶から薄れ、過去の記号として捉えられる。
例えば、昔のタイプライター風フォントや、1970年まで用いられていた「石井ゴシック」、1980-90年代に文化のメインストリームに居たドット文字風フォントは、その当時の技術の制約やトレンドに基づいて作られたものだった。
しかし、現在の観点でこれらのフォントを見ると、当時の技術の印象や懐古的な感覚が強く喚起され、「古い」というイメージが付き纏う。
ゴナは「死ぬ寸前」だった
ゴナは、平成初期で見ない日は無いほどだったと思う。
写研社が開発したこの書体は、バランスの取れた美しい角ゴシックで、太字かつ実用性が高く、カジュアルでもフォーマルでも使える汎用性…全てにおいて高いレベルの文字であった。
この有用性に気付いた広告界隈が頻繁に使用したことで、一躍日本の人気書体となる。
しかし写研社は、「ゴナ」など書体をコンピュータで利用するのを許さなかったことで、徐々に廃れ始めた。
言うまでもないが、現在のデザインの現場は殆どがDTPと呼ばれるデジタル環境である。
どういった事情があるのかは不明だが、写研は時代の流れを拒否し、脱税事件も起こし、自社Webサイトすら作らず、東京の片隅に閉じこもってしまった。
社長がデジタルを嫌っていたという噂がある。当時の社員であった今田欣一氏が、このような談話で間接的に裏付けている。
いずれにしても、あれだけ紙面や広告を賑わせたゴナは、活躍の場を狭めていった。2005年頃には、既にノスタルジーの対象になり始めていたと思う。
この時代はまだゴナの隆盛を知っている層が多く、また仕事でも現役バリバリの層が多かったので、まだ気づく人は少なかったし、なんなら「未だ古さを感じさせない」「新ゴは紛い物」みたいな、写研信者的発言も散見され、私はドン引きだった。
先ほど引用した今田欣一氏のブログでも、時折「写研信奉者」「終生の忠誠を誓っておられる人」など、少し苦々しさを感じる言い回しも出てくる。
ノスタルジーだけならまだ良いが、ゴナは写研の影響で死に瀕していた。文字に罪は無いにも関わらず、ゴナを生んだ写研自身がゴナを殺そうとしていたのだ。
同じようなポジションである、欧文フォントの「Helvetcia」が、50年経っても前線で活躍するのとは対照的であった。
写研の迷走
写研は迷走していた。
この兆候は、既に1992年には見られていた。写研は架空売上計上による粉飾決算と脱税を繰り返していた。
1998年にはライバルのモリサワに売上高で逆転され、二度と肩を並べる年はなかった。
1989年に書体デザイナーであった鈴木勉氏、岡田安弘氏、小林章氏が退社し、ヒラギノ角ゴで有名な字游工房を設立した。
字游(自由)工房という名前も、当時の鬱屈した想いを晴らすかのようである。
また、それまで残っていた従業員も、多数が整理・解雇された。末期の写研は、事業とは関係ない内職のような仕事を細々とこなす日々だったという。
もはやこのような壊滅的状況では、ゴナを活かせず、見殺しにするしかなかったのだ。
そして復活へ
ガバナンスを無視し、優秀な書体デザイナーを追い出し、旧態依然のままの状態で、結果的にそこらの零細企業レベルにまで追いやった社長が、2018年に亡くなった。
これは当サイト発のスクープとなり、当時のデザイン界隈の方に多数シェアして頂いた。
実際に関わられた方からは色々な想いがあるかもしれないが、経営者としては、ここまで写研を衰退させている時点で失格である。
社長が居なくなると、事態は一気に動き始めた。
2021年、ライバルであった難波のモリサワ社が、「ゴナの復刻に取り組む」と発表した。この王政復古の大号令に、デザイン界隈は大いに沸いた。
一度は殺されたゴナが、ライバルの手で再び舞い戻ってくる。これがどれだけ嬉しいことか、フォントを用いる人にはよくわかるのではないか。
総括
重ねて書くが、書体に罪はない。
デザイントレンドや、文化・社会の変化で一時は古臭くなることもあるが、「使える状態」が維持できていれば、書体は蘇る。
その証拠に、ゴナの「同僚」であるナールは、1972年に誕生して以来、今でも前線で活躍している。これは、道路の看板で残っている事が大きい。
広告界隈で持て囃されたゴナと対照的に、ナールは公的な役割を国から期待された。国絡みのシステムなので、DTP化が進もうとも、安定したシステムで生き残れる要素があった。
道路看板は未だに新調され続けているが、ナールは現役である。
また、1923年の「Futura」、1957年の「Helvetica」、1976年の「Frutiger」…と、欧文フォントでは50年・100年と前線で使われ続けているものもザラにある。
ゴナも、本来はこうして未来永劫輝き続ける、それだけのスター性・ポテンシャルを持ったフォントである。
新ゴをパクリだと訴訟する前に、もっとやるべきことがあったのではないか。
個人的には、こうした誤りは二度と起こしてほしくない。それだけに、このゴナに起きた愚策は、今後も強く非難していきたい。
小塚ゴシックを開発した小塚昌彦は、「日本人にとって文字は水であり、米である」と、字游工房の鳥海氏に言っている。
書体・フォントは、もはや「公共財」なのだ。