写真に関するよもやまはなし 『い』
このレンズ、ズミルックスの35mm f/1.4 ASPH.よりもだいぶ安くて完全に拮抗した写りという世評がまあ通説なんで、重いとかでかいとか、この厳しいご時世でそんな風にブースカ抜かすのはかっこ悪いですよ。
「男の影」って含蓄のある言葉ですね。
マイクロフォーサーズにツァイスのレンズを付けた作例。フィルム時代のレンズだからか線は太めに感じますが、コントラストがずいぶんはっきりして、手を加えずとも妙にリアリティのある描写だと感心しました。何本かツァイスのレンズを使っていますが、その点はやはりさすがだと思わざるを得ません。ただむやみに信奉して散財するのはどうかと思いますよ。オリンパスのレンズは、オリンパスでツァイスにはない特徴が確かにありますからね。
フルサイズを基準に考えると、フォーサーズ時代の標準ズームですら2倍クロップとは思えない解像度だと思います。しかし、線が細すぎてかつ色目があっさり(多少の進化はあったとしても現行レンズもこの傾向はあまり変わらないでしょうね)、だから何も考えずに撮ってしまうと、フルサイズのようにレンズ描写に頼って勝手に絵にしてしまえ(爆)という構図が成立しにくいですね。
その点、マイクロフォーサーズの難しさであり、それ以上の面白さだと思っています。
サビ猫ですな。三毛猫と同様、大半は♀とのことです。
大口径オールドレンズを通じた制御無き光は、センサー上で暴れまわります。いかにフィルムが懐深いものだったかよくわかります。
この世界になると、フルサイズセンサーの広さがあると断然面白くなります。
私見ですが、マイクロフォーサーズの各メーカーはビギナーを嫌というほどフォローすべきだったのでは?
ライカ銘に頼ったり、文字通り飛び道具感たっぷりの超望遠に振ったり、一番の購買層であるビギナー層のフォローを怠った結果が、現在かと思うのですが...
※この写真だって、シグマの85mmで同じ地点から撮った者からすると、シグマの画質は無駄に高すぎるだけじゃないかと思ってしまうくらいなんですよ。
そういや、やけにかっこよくズームレンズを使う鋤田正義氏(写真家)がいましたよね。
自称写真家がごにょごにょ語るyoutubeやらnoteの記事を読むよりも、この老写真家の短い動画を一本見るだけで、何倍も「夢」を貰えるような気がします。
かつて何百万もしたデジタルバックレベルの画質を20万そこら出せば手に入れられる安易な時代になったわけですが、撮る人間が同様に進歩しているようにはとても思えないのです。上手な写真を撮れるようになったとかいう錯覚はまるでデフォルメかのように肥大しているようですが。
当然受光量、分解能が高まると、遠景や細部の鮮鋭さはより研ぎ澄まされるわけです。きっと小学生でもわかる理屈かもですが、だからそれがどうしたというのです。だから偉いわけでもなんでもないのです。冗談かと思われるかも知れませんが、その程度のことでマウントを取る人々が実在するようですね...
カメラやレンズの性能にあぐらをかいていたようで恥ずかしい限りです。
プロみたいなもしくはコマーシャルフォトもどきを量産したところで、何が嬉しいのか意味がわかりません。だからかどうか写真文化は私達を救うどころか、どんどん衰退の一途。ユーザーを舐めたメーカーはどんどん値段を釣り上げて、にも関わらずありがたがる人がいるという...そろそろ私は甚だ馬鹿げたそんな風景にこりごりし始めてます。
GRは、使い手を選ぶカメラなんかじゃ決してなくて、エンスーぽいノイズを取り除けば、あくまでも至極ふつうのカメラだったりするのです。
ハードな粒子感バリバリモノクロ的なイメージは、むしろかなり手を入れないとできないわけで、GR本来の写りは案外しっとりした感じなんですよ。
色々撮り続けると、写真を見る目が自由というかフラットになってきます。狙う被写体をできるだけ大きく写さないとだめだ!..なんてクソみたいな美学だと思えてきます。
だから昔の写真がゾンビみたいにムクムク蘇ってくるわけです。
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