Leica Summicron 50mm f/2 1st Collapsible(沈胴ズミクロン)・プリミティブな撮影体験(12/20写真追加)
私が持っている唯一のライカ製のレンズである。
絞り輪が固着気味、しかしレンズは年代物なりの小キズはあったが、写りに影響しない程度にキレイだった。それで8-9万円だった。
実に使いにくい。ピント合わせのヘリコイドを回すために出っ張りに指を引っ掛けてピントをあわせる。
私は、ライカのカメラを持っていないので、レンジファインダーカメラと組み合わせての使用感は想像しにくい。いつも一眼レフ用の幅の広いピントリングに慣れていると、違和感が大きい。
そんな使いにくいレンズではあるが、手持ちレンズの中でも持ち出し率は高い。いくつかの作例をもとに、その魅力を探ってみたい。
絞り条件、光線のコンディションによりずいぶん写りの印象は違う。
しかし、この世を写しきる意思のようなものを感じる。
他の方のレビューを見ると、柔らかい、製造年代では考えられない描写力、ライカならではの空気感、とか雲を掴むようなコピーが並ぶが、私はそのような印象に対して一切共感することができない。
このレンズを買う理由は、テクノロジー臭が無い。その一言につきる。
たまたま、直前の写真は三宮・旧居留地の写真である。以下、NIKON 58mm F/1.4 OM AUTO-MACRO 50mm F/2.0 の写真を並べてみる。
それぞれ、絞り開放であるのに関わらず、破綻のない良い写りである。レンズの枚数であったり、コーティング技術であったり、テクノロジーの集積の結果である。
もう一度、私が愛しているプリミティブなイメージに戻ってみよう。
一受光素子の面積が大きいα7s。そのバーチャルアナログ(最近のデジタルライカなんか中版カメラみたいな写りである)な写りの特性に助けられると、光源がしっかりしておれば良い写りになる。つまり、被写体と環境とレンズの対話がうまく行くと、良い写真が撮れる。それをノスタルジーと捉えるか、プリミティブと捉えるかは、撮影者それぞれの自由であるが、私はそのにこそ、このレンズで撮る楽しみを見出したのである。
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