見出し画像

蜂の巣を見つけたら

今日の出来事走馬灯。

早朝、外からデーデーポッポーとよく通る声が聞こえた。誰に聞かせたいのか、大きな独り言だ。
住人がベランダに出ても、まだ居座っている。小刻みに首を動かし、キョロキョロと見回す。
現行犯の証拠を押さえるべくやや近づき不審な眼光(撮影機)を向けると、やれやれとため息のような羽音をさせて飛び去る。臆病な上に横着だ。
かわいいだけで済めばいいが、好きにさせておけば白いおみやげが撒き散らされているから困りものである。
一度、よく話し合いたい。

昼、家屋で遭遇するにはやや大きめと思われる八本足の黒い生命体が、天井の端から端まで粛々と歩みを進めていた。
これはプロの忍者の身のこなしである。
しかし日々をインコのふりで過ごしている私は、これを見落とさなかった。気取られぬよう息を潜め、ヤツの一挙一動を目撃していた。
忍者も賢明で、一切無駄な動きをすることなく廻り縁の陰に消えた。
我々が共存するには互いに脅威が大きすぎる。

夜、自転車置場で愛車(※もちろん自転車)を可愛がっていたら、物陰に蠢くものがあった。
つぶらな瞳の小さな生き物だった。ポールの向こう側から、両手両足をひょうきんに広げてどうもどうもとピン芸人のように現れ、平坦な壁をいとも簡単に駆け登っていった。
売り出し中の芸人なのか、ロッククライマーなのか。彼はゆくゆくは、運動神経抜群な、マルチな才能を発揮するバラエティータレントとして成長してゆくような気がする。
経験的に慣れているのか、ファンのおっかけには応じない姿勢で、頭から尻尾まで喉越しよくトタン屋根の波に飲み込まれていった。
協調する道はないのだろうか。

私と、あなた。
それぞれの関係性、距離の取り方がある。
近すぎると離れたくなり、遠すぎると距離を詰めたくなる。
互いの見解が一致すれば幸せだ。
個々の意思の足並みが揃うことは少ない。
時に、自身が関わりたくなくても、対象が興味を持って近づいてくることがある。
時に、自身が近づいて、対象を傷つけてしまうことだってある。
快適な関係を保つには、それらを心得る必要がある。
それでももし、新たな関係を構築したいなら、じっと"痛み"に耐えるしかない。

日常に、幸か不幸か偶然にして行き合ってしまった生き物は、その距離感がとても大切なものなのだと教えてくれる。

(この記事は、2015年6月11日に、はてなブログに掲載したものです。)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?