喧嘩しないためのルール作り
家族が増えて夫婦喧嘩しなくなったの続きで気づいた自分がやっていること。
だいたい家族の話してると家事、育児の「役割分担」はどうなってるかの品評会がはじまりますよね。そこからパートナーの役割分担の比重と完遂具合の評価に…
役割分担すると与えられた役割は果たすことが相手に求めることになり、それは家族内「ルールが作られる」ことだと思う。
ルールは守るものであり、守らなければそれは不満になるからプレッシャーです。ルールプレッシャーがうまく働けばもちろん円滑にいくけどお天気と同じで気分も体調も時々刻々変化するのに毎回同じ結果を求められるルールってきついと思う。
役割分担を聞かれると「ごみ出しとお風呂掃除(だけ)」って答えてますがそもそもうちの家族には役割分担は無い。つまりルールがない。
家族であってもそこに「役割」があって「分担」して何かをするなんて区分けするほうがなんとなく不自然。(もちろん生きていくうえでの役割分担はありますよ、稼ぐとか育てるとか護るとか)
意識して役割分担しないわけではなく、自然にそうなった(と思いたい)
ルールが無ければ責任の所在がわからない=やる人がいないので何も片付かない。結果、奥さんがやらざるをえないってなってしまう、結果それが暗黙のルールになって不満のものになる(のかな)
では自分の場合はと言うとルールはあります。それを共有していないだけで「自分ルール」であり「セルフプレッシャー」はかけ続けてます。
自分ルール
①ごみ出しとお風呂掃除
②家族そろってご飯食べたときの片付け(食洗機OK)
③気づいたらやる
①②は言及するほどでもないのでスルー
③の気づくことってなにかの「状態」であってその「状態」はルールにたらし合わせると「出来ていないこと」になりますよね。でもルールが無ければその「状態」に「気づいた」だけなので気づいた人がやれば良いのでマイナスのものがうまれないのです。
でも気づいてもなかなかやれないのが人であって人間であって、気づかないふりは簡単にできます。
だからこそたかだか3つしかない(いやもはやひとつ)の「自分ルール」で強力に頑なに、暴力的なまでに押し付けてます。
なんてことは無く、反射的に体を動かし行動するだけ。
考えない!!考えたって気づいた「状態」はかわらないので(ポジティブな意味で)あきらめ行動あるのみ。
気づいたことは誰かが「やらなかったこと」「できなかったこと」ではなく、「誰も気づかなかったこと」です。
なので、役割分担の無い中でルールに決まられたものが存在しない中で気づいたことをちょこちょことやってるだけで、やってる感は伝わるみたいで不満は少ないです。(きっと…そう思いたい。)
おしまい。
初めて文章を書きます。 読みづらい、わかりづらい点が多々ありますがお許しください。