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最弱の私が強くなった理由【絶望日記22】
こんにちは、とばりです。
饅頭屋で働いていた時、私がかるかんを知らないと知った先輩が高級なかるかんを買ってくれました。お月見しながらいただきました。美味しかったです。
【全4,133文字】
ところで最近までブラック企業での無双話などを書いてきており、強強エピソードも多かったわけですが、私は初めから強かったわけではありません。
むしろ元々は貧弱にしてメンタル雑魚の弱弱人間でした。
そんな私が180°変わった理由を今回は書いてみます。
人って、変わろうと思えば(いろんな条件はあるにせよ)変われます。ただし、過酷ですが。
※今回ちょっと口が悪い。
【昔の私】
幼稚園ではぼっち、小学生〜高校生まではいじめられる側で、とにかく暗い毎日を送っていました。
「いじめられる側にも原因がある」という言葉を決して許すつもりはないですが、いじめの原因に心当たりがなかったわけではありません。まあ未来永劫許しはしないがな!!
全ての出来事を私が悪いというふうに紐付け、見せしめのような扱いを受けたりしていました。
田舎あるあるなんですけど、いじめるやつってターゲットコロコロ変えるんですよね。でも、私の場合はずっといじめの対象から外れませんでした。
体力もなくて、足も遅くて、体育が大嫌いでした。大人になって、週2回の体育の大切さはよくわかったのですが、とはいえ子どもの頃の体育ってもうちょっとあり方を考えた方がいいですね。あんなの、スクールカーストを作る要因にしかならないでしょう。
体力的には学年で言えば下から二番目でしたね。何故か一番下ではなかったです。
対抗戦では取り合いのじゃんけんでは最後まで売れ残るのはいつものこと。足を引っ張るので、いつも申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
習い事もやっていました。英語、バレエ、合唱です。基本放任なものの、何故か習い事などはさせてもらえていました。
母親の手取りはめちゃくちゃ少なかったです。祖父母の家に居候していて、毎月8万円入れていたそうです。そんな中、よくここまでさせてもらえていたなと思います。
しかし、子どもの私にお金の価値なんて分かりません。お小遣いなんてもらってないですし、尚更です。1,000円くらいまでならわかるけれど、1万円がどれほどすごいのかなんて知りませんでした。
習い事も始めたものの、バレエと合唱は体育会系。私の性格とは真逆。辛くて、逃げ出したことも何度もあります。本当に先生方には迷惑をかけたなと、今でも反省しています。
もしお金を稼げたら、この2つの習い事を支援できたらなと思っています。それをもって、贖罪としたいのです。
また放任であったため、お風呂に入る、服を変えるなどの習慣もありませんでした。今思えばとんでもない話です。流石に放任がすぎます。そういうのもいじめの原因でした。本当になんで産んだ?
とにかく弱い自分が大嫌いでした。だけど、何も持たない自分が強くなれるはずがない。どうやったって虐げられ続けるのだ。私はそう思って、ただ強さに憧れているだけでした。
【保護者代理】
色々変わったのは専門学校あたりから。親が病死して、いきなり社会に放り出されたのです。
重度障害者の妹の保護者代わりにもなりました。高校を卒業したばかりだというのに、何故か保護者として高一の妹の授業参観に行っていました。
少し前にも書きましたが、この時が多分一番過酷でした。辛い、だなんて思う余裕もなかった。目先のことだけでいっぱいでした。
実家とは呼びたくはないのですが、祖父母の家にいたときはあの毒共の支配下にあったため、我々には自由がありませんでした。あいつらには常識と日本語が通じなかった。キチガイです。親が死んで、ついに祖母に11年間の怒りをぶち撒けた私は家出をしました。20歳です。↑記憶が前後していました。親が倒れ危篤状態の時に家出しています。19歳です。いつか元気になった親にウチに遊びにきてもらい、ご飯を作ってあげようと思っていました。叶いませんでした。(2025/02/10 17:20訂正)
部屋を急いで探し、ボロボロのコーポに住みます。
叔父や妹の担任らから毎日のように数件電話がかかってきていました。私に責任だけは問うくせに、担任の勝手な判断で叔父に連絡を入れて、仕事の邪魔をされていると叔父から文句の電話が私にかかってきていました。
親戚なんてそんなものです。それまでどれだけ仲が良かったとしても、結局はよその子ども。面倒までは見ませんよ。
それはまあいいです。ただ、途中まで自分たちが勝手に手付きやら相続やら中途半端に手をつけておいて、何の合図もなしに丸投げとはどうなんですかね?流石は馬鹿家系です。常識と日本語が通じないので、何を言っても自分都合の展開になります。本当にこいつらは生きている価値がないと思いました。
当時は電話がトラウマで(今も嫌)、電話が鳴るのが怖い、と友達に泣きついていました。
妹の学年が上がれば担任も変わるわけですが、3年の担任はひどかった。家庭に戻すはずのお金を半年間忘れていたり、四者面談では妹がメインの先生から話しかけられているのに横から茶々入ればかりして邪魔をしていたり、これでよく教師なんか務まるな?と言いたくなるひどさです。
そして当時まだ子どもみたいなものだった私に対しての態度はまあひどいものです。ずっと命令口調、次の施設に一緒に訪問した際も施設の人たちの前で私に対して見当違いな説教、頭おかしいんじゃねーのこいつ!?とずっと思っていました。
どうしたものか…と悩んでいた私は友達のお母さんに全部打ち明け、どうすればいいかと相談していました。そしたら、友達が横で泣いていたのです。それを見て、初めて自分がとんでもなくひどい目に遭っていたのだと気付かされました。
妹の卒業後の施設も探さないといけなくて、だけど重複障害を受け入れてくれる施設って全国でもすごく少ないのです。例えば聴覚だけ、知的だけならたくさんありました。ですが、どちらも対応するとなると大変なのです。
そんななか、やっと対応してくれそうな施設をみつけましたが、なかなか受け入れる姿勢を見せてくれませんでした。使えない担任と何度も訪問し、ついに学校側が考えたのは妹と私に嘆願書を書かせるというものでした。
私は世間知らずだったので、何も疑問を持たずに書きました。そして施設に持っていくと「お姉さんにこんなことをさせるつもりじゃなかったんです」「施設に入れればいいという、丸投げしようとしている学校側の態度が疑問だったのです」と施設長に言われました。やっぱあのクソ担任のせいだったんじゃねーか!!私一人で来てた方がまだ話が早かったわ!!と、ブチギレの私。
施設の方は実は受け入れる方向で準備を進めてくださっており、妹は無事そこへ入ることができました。
ところで、学校の先生って本当に変な人が多いですね。あんなのが教師を名乗るのですから、とんでもない世の中だと思います。
私の高校にも、変態教師、問題教師がいましたが、妹の聾学校もこの担任をはじめ、おかしな人が多かったです。
職員室に用事があって「○○の姉です」と名乗り訪問した後、職員室での雑談が聞こえてきたのですが「近頃は若いお母さんもいますからねぇ〜w」などと下世話な話をしていました。人の話を聞いてなかったのか?“姉”だと言ったが?こいつらこそ難聴なんじゃねーの?と思いました。
気色悪いですね、学校って。
【逃げ続けた末の強さ】
とまあ、散々な目に遭い続けたわけです。大人ってクソなんです。弱い者を見つけると、守ったり助けようとしたりしません。寄ってたかって虐げようとするんです。それが社会に出てまず学んだことでした。
では、そんな中からどうやって私が強さを手に入れたのか?それは単純に死ななかったからです。
私に与えられた選択肢は3つです。
・戦って生きる。
・自殺、死ぬ。
・選ばない→生きることになるので戦うのと同じ。
自殺が怖くて死を選べなかった。現実から逃げ続けました。しかし逃げるのは選ばないと同じ。つまり生きて戦うのと同じです。
なので戦う内に自然と経験値が積み上がり、結果強くなったのです。死ねなかった、ただそれだけです。
最終的には妹の学校側の偉い人と仲良くなり、あのクソ担任について情報を流すなどして報復はしました。
また就職した後もひどく、ブラック企業で働き続けました。そこでもドンパチやったいたので、私はどんどん強くなります。
ブラック企業の話はこちらから▼
やられないためにはやり返して痛い目に遭わせるのが一番だと気がついたのです。
人間、バカでも「痛み」はわかります。どんな人間も痛いのは嫌なのです。では、私がもし必ず痛みを返してくる人間だとわかったら?攻撃するの、怖いですよね?
私にも座右の銘というものがいくつかありますが、そのうちの一つが「骨を断ってでも肉を切る」です。自分の痛みはどうだっていい、相手を傷つけることが最優先です。……ね?そんなやつ、相手にしたくないでしょう?
子どもの時からそうでしたが、どうしても私は弱さが全面に出ていて攻撃しやすそうに見えるようです。先程申しました通り、大人はクソなので、弱者ほど虐げようとします。なので、私はどこに行ってもいじめの対象なのです。それを全部やり返しているうちに、私は誰よりも強くなりました。
他にも転職した回数の分だけ私の喧嘩エピソードがあるのですが(どんだけクソで溢れているんだw)それはまたの機会に。
*あとがき*
本当は私が暴漢を返り打ちしにしたエピソードも盛り込みたかったのですが、文字数増えてきたのでまた次回。メンタルだけではなく、フィジカルも強かったのです。
とはいえご存知の通り、私は現在双極性障害を患っており、過労と心労で働けない状態です。精神疾患に心の強さは関係ありません。私が証人です。
ところでどいつもこいつも、なんで自分は反撃に遭わないと思い込んでいるんですかね?愚かなんですかね?笑
今日も「絶望日記」を読んでくださり、ありがとうございました。
また次回、お会いしましょう。では。
※もし誤字脱字などがありましたら、教えていただけますと幸いです。
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