冨樫義博展 所感
平日の昼間だというのに、とにかく人が多い。
展示自体もだが、退場後、六本木ヒルズの賑わいに圧倒されて死にそうになった。六本木ヒルズという場所での開催、物販の賑わいに非常に金の香りがして一瞬嫌な気持ちになったのは私だけだと思うが、展示自体は原画300枚以上ということで、かなり見ごたえがあるものだ。
展示されている原画の下には、発表年月、号数、タイトルと主に、監修者によって各原画の見どころとして、次の5つマークのいずれかが、もしくは複数個がつけられていた。マークの種類は、キャラクター、ストーリー、設定、描写、特異点(詳細は後述)の五つである。監修にどこまで冨樫義弘が関わっているかは謎だ。しかし、原画を何となく見るよりは多少参考になって、個人的には良かった。
「特異点」とは何か図録中に解説があった。幽遊白書では台詞、レベルEでは斜め上の展開、ハンターハンターでは念能力、のことであるらしい。
作品の象徴的描写を指すようだった。私の記憶だと、特異点については、確か幽遊白書の原画には「台」、レベルEの原画には「展」、ハンターハンターの原画には「念」のようにマークが記載されていたように思える。
最も面白かったのはやはり、キャラクターの「キ」かと思えた。
ベルセルク展に行った時にも感じたが、作者の絵柄の変遷が見られるのは、原画展の見どころの一つだと思う。基本的には連載順、幽遊白書→レベルE→ハンターハンターの順に展示が構成されている。
混雑回避のため、一度各作品のエリアから出たら、元のエリアには戻れなくなっていた。私は最後に、幽白の原画(鴉戦、戸愚呂弟戦)をもう一度みたくなったが、無理である。その場合は、もう一度チケットをとるところからやり直さなければならない。平日であの混みようだと、おそらく当日券は無い。
幽遊白書以前の最初期の作品、有名になる前の冨樫義博の原稿も展示の最後に冨樫の年譜と共に展示されている。野球漫画とラブコメ漫画である。今の絵のタッチの原型もあるが、当時の流行の劇画風、アラレちゃんのようなタッチだった。熱血主人公と冷静なライバルもまた王道な構成だが、原画一枚でも、なにか冨樫義博イズムを感じるところがあり、通して読んでみたいと思った。横に冨樫義博が漫画を投稿した際の履歴書も一枚展示されていて面白かった。
話を戻すと、大きく三つの連載作品が連載順に展示として並べられた中で、通してみると、レベルEでかなり画風が洗練されているのに気が付く。特に、幽遊白書後期とのギャップが大きい。
レベルEは、幽遊白書と違い週刊連載ではなく、月間連載である。そのため、時間をかけて練り仕上げたのが素人目に見てもよくわかる。絵が丁寧で上手く、写実的、リアルだ。
漫画のバトルシーンは、一枚絵というより、動画に近いと思っている。各こま各コマでどれほど、鮮烈な動きを感じられるかが大切だ。だから、構図は大切でも、絵自体はそこまで入れ込んで描く必要がなく、寧ろ入れ込んで描きすぎると、勢いが無くなる。パンチを描きたいのに、拳の影まで丁寧に描いても仕方がない。
対して、レベルEはバトル物ではなく、少年漫画の絵というよりも、例えばファッション誌や映画のカットを切りそろえ集めたように見えて、とにかく絵的にキマっている物が多い。
私はレベルEについてはかなり昔、文庫タイプの小さな漫画本で読んだが、その時の印象はは、なんとなく絵も話も伊藤潤二っぽいなぁと思ったくらいであったが、大きい原画が並べられ前後の連載である、幽遊白書とハンターハンターに挟まれると、印象は異なる。
レベルEこそ冨樫義博の特異点だったのではないかと思われる。
また、レベルEは本来冨樫が描きたかったと思われるオカルトの要素も濃く、画面が黒い。幽遊白書もオカルト要素が混じった話が好きで描き始めた作品であると解説がある。絵柄もオカルト要素も強く、それでいてギャグタッチも強く、ハンターハンターの原型という感じがすごくした。
幽遊白書の結末をご存じの方なら察すると思うが、幽遊白書の結末の辺りで、冨樫義博はかなり少年漫画の文脈に疲弊していたのではないかと思われる。幽遊白書は唐突な終わり方をする。唐突に人間世界に戻り、平和で終わる。バトル&バトル、盛り上がって突き抜けていくインフレ、これに冨樫自身が付いていけなくなったのだろうと思う。
幽遊白書の最終回の原画もそっと展示されているが、それまでと異なり、急に儚い、線の細い、ギャグ調の少女漫画のようなタッチになる。
画面も非常に白い。また今の感性からも遠いので、なんとなく苦笑いしてしまう絵面である。いい意味で味はある。直前に幽助、飛影、蔵馬、桑原の強烈なバトル場面を中心に集められた展示を見せつけられたばかりなので、物哀しさを感じた。また、それまで散々書かれていた監修者の解説が、急になくなるのも面白かった。誰も何も言えないだろう。
しかし、ここに冨樫スピリットを感じてしまう。ここが冨樫は編集や読者に媚びてしまう己を一切捨て去ったターニングポイントなのではないかと思われる。ここに、冨樫義博作品の魅力の一つがあるかと思う。
展示の最後に著名なファンからの色紙とコメント、応援メッセージが並んでいるだが、その中で、尾田栄一郎から以下のコメントがあって、1人頷いた。
ところで、原画にはエネルギーがある。原画の前に立つことで、すっかり忘れていた場面を初めて読んだ時の感情と共に思い出すこともあった。この場面好きだったな、とか、当時は感じなかったけど今読んだらとても心に刺さるのかもしれない、とか。また読みたくなった。私の家には今、冨樫義弘紙媒体はハンターハンターの11巻しかない。実家から11巻だけはと持ち出し、脱衣所に常に置かれている状態である。
幽遊白書の樹と仙水が物語から消える場面、メルエムとコムギが物語消える場面の原画があって、心に来るものがあった。
両方とも光の中に二人の人物が消えていくような描写なのだが、一発書きのような黒ペンでの線画の人物の上に修正液で光の線が丁寧に書き込まれている。双方とも、深い闇を抱えた人物が、まばゆい光の中に溶けていくという終わり方をしている。この線を冨樫は、どういう気持ちで一本一本入れていったのだろうと絵の前で考えてしまった。
その他面白かったのが漫画の用紙。基本的には通常の漫画用紙が使用されて描かれているが、ハンターハンターの連載の途中から冨樫義博専用用紙に描かれ始める。Togashi Yoshihiroの名前とおなじみの犬のマーク、HUNTER×HUNTERと記名された専用用紙だ。
冨樫義博の細君は、セーラームーンの作者の武内直子であることが知られているが、キメラアント編のラストの方から選挙編最初の方にかけての原画の用紙には、武内直子記名の専用用紙が使用されており、驚いた。
噂では作画にかかわっていると聞くがどれほど関わっているのだろう。(確かにネフェルピトーもコムギもどんどん可愛くなる。)また武内直子専用用紙が使われている場面が、メルエムとコムギの最後の場面であることもオツだと思った。