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サカナクション 山口一郎さんへの質問:「言葉のリズムは意味を越える」について

サカナクションの山口一郎氏のプライベート配信で質問をできる機会があったので備忘録としてまとめておきます。前回は要約の形式でまとめましたが、今回はアーカイブから起しました。

質問内容は次の通り。

一郎さんがよく言っておられる「言葉のリズムは意味を超える」とはどういうことなのでしょうか。具体的にご教示くださいますと嬉しいです。的外れでしたら申し訳ないのですが《白波トップウォーター》の「誘惑 罠すべてが」の箇所を口ずさむとき、わ-わ-てに生じるアクセントがとても心地よく感じます。これも「言葉のリズム」の一つなのかなと考えています。

筆者による質問文

この質問に対する一郎さんの回答が次です。

まさに「誘惑 罠すべてが」は、言葉のリズムは意味を越えるというそういう部分もあるし、例えば「南南西から鳴く風 なぜか流れた涙 なんてったって春だ」とか、意味を成してないんだけど[言葉の]リズムが良いことで、意味を強く感じるという。だから、言葉のリズムによって意味がさらに増幅するとか、意味がないものも意味があるように感じるとか、そういうことかな。サカナクションの曲の中でそういう部分をたくさん見つけていただけると嬉しいです。

山口一郎 談(YouTube配信にて)

ここで一郎さんが例として語っている《なんてったって春》の場合、語頭の「な」を執拗に繰り返すことで生じる心理的なアクセントが、反復されるリズムの気持ちよさを生み出しています。

《なんてったって春》作詞・作曲 山口一郎

このように譜例にすると、「な」の出現位置が音楽的な強点、すなわち強拍とアンティシペーションに完全に一致していることがよくわかります。この箇所を歌いながら「な」の位置で手を叩いてみても「言葉のリズム」の効果を体感できます。

南南西から風が吹いて、なぜか涙が流れて、それは春だからという「言葉の意味」だけではぼんやりとした情景描写にすぎないものが、言葉のリズムという音楽的要素が重なることで、解釈の厚みが増す、そういうことだと一郎さんの話を聞いて理解しました。

一郎さんのこの考え方は、韻律が厳格なヨーロッパの詩に通づるものであり、J-POPという狭い範囲で見ると一見マイノリティーであっても、アートの歴史の中に浮かべてみると、極めてトラディショナルだと言えます。

参考文献:
戸所宏之「強弱五歩格」『シェイクスピアをたのしむためのキーワード集』https://ovid.web.fc2.com/shake/keyword/iambic.html


おさかなディレクション公式YouTubeチャンネル:


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