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コッコを食べるのか食べないのか問題を考えた話

表紙の写真がネタ切れしてきたのでAIに作ってもらいました!
よく見るとなにこの食材…?みたいなのが混じってますね。笑

さてニワトリ飼ってるって話をすると
まあまあの確率で「食べるの?」って聞かれます。

結論、食べません!

前までは
「10%くらいの可能性はある」
と思っていたんですが、
マーブルピヨ子を看取ったことで確定しましたね。

食べないというより食べられません。
というわけで、
そのあたりの気持ちの変遷なんかについても書いていきます。


ニワトリを飼うのは食育のため?

「ニワトリ 日本 昭和」の生成画像。桜…?ボタン…?よく見ると鯉が浮遊している。

「ニワトリは食べるの?」
「子どもの食育にいいよね」
「もし絞めるなら子どもに見せたい」

と言われることがあります。

私たちがコッコを迎えた理由は、
「破天荒おじさんが急に持ってきたから」です。

子どもの食育のためとか、
命を育てる覚悟とか、
そういうのは置いといて。。

死にそうなヒヨコが目の前にいたので育てたら
庭にニワトリがいることが暮らしの一部になりました。

なので、もし食べるとしても食育のためではないと思います。

むしろ食育のためにニワトリを飼う行動力と覚悟を持つ方のことを尊敬します。笑
(おじさんが持ってこなかったら飼っていなかったでしょう)

コッコを食べられないのはなぜ?

「ニワトリっぽい人間 貴族 中世 西洋」の生成画像。
よく見ると突っ込みどころ満載でおもしろすぎる。笑

少し前までは、
コッコは暮らしの一部ではあるけど家族とはまた違うし、
ペットともちょっと違うし、
食べるのもアリ…なのか?
と思っていました。

そう思うのは、ニワトリが家禽だからでしょうね。
肉や卵をスーパーで買っているから、
産業動物だっていう認識があるからでしょう。

でもね、マーブルピヨ子がこの前亡くなって。
こりゃー食べられんなと思いました。

なんやかんや、
コッコを育ててきた1年数か月の時間を共にして
自分で思っていたよりもコッコに愛着があるんだと自覚しました。
(そりゃそうだよね)

自分にとってコッコが何なのか、
名づけがたいのは変わらないけれども、
肉として食べるのは抵抗があるくらいには
かわいがってしまいましたね。

なんとなく、
コッコはペットというよりもう少し距離感を持ちたい
と意識していたのです。

我が子が大きくなったら、どう思う?

「ニワトリ 食育」の生成画像。
本の上に立ってる生徒、邪悪な先生。

我が家の環境は一般的な価値観と比べればちょっと特殊です。

まず人間より鳥が多くて、
それを飼育できる自然豊かな環境に住んでいます。

子どもたちは、
夏になるともうやめたれよってくらい虫捕りして、
それをたまにコッコに与えています。笑
(餌にする昆虫と、餌にしない昆虫の境界線があるみたい。すごく気になる)

鳥を何種類も飼っていること、
庭のニワトリのたまごを食べること、
餌を与えること、
ニワトリが命を落とすこと、
両親がそれについて話すことなどなど。

これが当たり前の環境で育つということが、
子どもたちにどんな影響を与えるんでしょうか。

大きくなったとき、
わが家の環境がマイノリティと気づいたときの
世間とのギャップをどう感じるのでしょう。

ある意味両親の好みや趣味?
に巻き込まれている彼らですが、
今のところ生き物や自然が好きでいてくれることがありがたいと思っています。
虫が嫌い、生き物に興味がない、とかだったら
ここの生活はある意味地獄なのかも。笑

5年前の今日の自分へ

さてさて話は逸れますが今日は下の子のお誕生日。
フルーツ山盛りのケーキを食べました。
切り分けた私のケーキから下の子にフルーツをあげてたら、

「お母さんフルーツ食べたい?食べていいよ」
(お母さんのケーキのフルーツをぼくに分けてくれなくてもいいよ)

と言えるくらい、大きくなりました。

5年前の今日の自分、ほんとお疲れ。

ニワトリの寿命は10年くらいらしいので、
下の子が中学生くらいのときに庭が広々してしまうのかなあ。

そしたらもう一度、
コッコ2世を育てたいな~と思っています。
そのときにはまた気持ちは変わっているのでしょうか。

別に考えなくてもいいことを、
あーだこーだ考えてまたここにつづりたいと思います。

サポートいただけましたらコッコたちの餌代にあてさせていただきます!どうぞよろしくお願いします。