観たよ ゲームゲノム「MOTHER2」
まえがき
MOTHER3のネタバレがあります
なんでMOTHER2の話で3のネタバレになるのかとお思いになることでしょう
しかし、書いてたらそうなってしまったのです
MOTHER「3」のネタバレを回避したい方はお控えください
まえがきおわり
MOTHER3にもつながる二つのテーマ
「ゲームゲノム」はNHKで放送している番組だ
今回「ゲームゲノム」でスーパーファミコン「MOTHER2」を扱った回を観た
番組は監修・企画・シナリオを担当した糸井重里さんを交えて進行していった
そのなかで二つの印象的な言葉があった
そしてこの二つこそ、のちに発売される「MOTHER3」にも共通するテーマなのではと感じたのでここに感想を書く
冒険するにもホームがいる
郷愁という幸福
MOTHER2で主人公ネスは、冒険のさなかホームシックにかかる「弱さ」をもっている
糸井重里さんはどこかのインタビューでは「人間の生理的な部分を描きたい」と発言していた
MOTHERシリーズの登場人物は、みないわゆる「普通の人達」だ
かれらは冒険が終わった後、みなそれぞれの「帰る場所」に戻っていく
それは言ってみれば「自分だけの場所」であり、「ホーム」を持っているであるといえる
「帰ってくる場所」がある
ではもしも、それがなかったとしたら?あるいは、なくなってしまったとしたら?
帰ってくる場所のない冒険は、それは冒険とは言えない、むしろ流浪といえるものだろう
母親、つまり「MOTHER」とは、帰ってくる場所、生まれてきた場所、振り返って心の安らぎを得られる場所の「象徴」ともいえるのではないだろうか
もちろん、物心ついたときに母親の顔を知らないヒトもいるだろう
しかし、だれしもが「振り返ることで安らぎを得るもの」を持っているのではないだろうか
それは「郷愁」という「帰ってくる場所」をもった幸福ともいえるだろう
なかった「幸せ」
もうひとつ、糸井重里さんは「なかった幸せ」を追体験できるのがゲームのよいところと発言していた
なかった「幸せ」
それは言ってみれば、手に入ることのなかった幸福への憧れといってもいいだろう
たとえば、功成り名遂げて富貴の身になったとしても、ヒトは「ほしかったものが手に入らない」状態だったならば、幸福であるとは思わないものだ
幸福とはある意味において主観的なもので「満足しているかどうか」が重要になる
そして、どうしても手に入らない幸福に対して、ヒトは何らかの形で代わりになるものを求めていくものだ
帰る場所を喪い、なかった幸せを求める王様
帰ってきた息子、帰ってこなかった息子
帰ってくる場所と、なかった幸せ
この二つの言葉を聞いた時、筆者はまっ先にある登場人物を思い浮かべた
それが「MOTHER3」に登場する「MOTHER2の登場人物」だったポーキーだ
ポーキーは2のラスト以後、流浪の日々を続けたことが作中であかされる
ブタマスクたちを従えた組織のトップでありながらも、彼の姿には「郷愁」の影が見え隠れしている
「ともだちのヨーヨー」を大切に保管しているところや、ネスたちの冒険を映画にして延々と放送するなど、MOTHER3のポーキーには「かつていた場所」に対する郷愁が隠れているように描かれている
ポーキーもまた、ねじれた性格はさておき「普通の少年」だったといえるのだ
彼にとっての「幸福」はなんだったのだろうか
MOTHER3の物語は「帰ってきた息子」とともに幕を閉じる
もしも幸福を求めるならば「帰ってくる場所」を見つけることが大切なのかもしれない
それは言ってみれば「おまえだけのばしょ」をさがす旅とも言えるのだろう
そんなことを「ゲームゲノム」のMOTHER2回を観ていて思った