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終演報告

『飴色のキッチン』本番が無事終わりました。
改めまして、観に来てくださった皆様、関わってくださった皆様、脚本・演出をやってくれた田宮君、ありがとうございました。

先日、自分の反省点として、「自分がスケボー選手であることを忘れて受験戦士になってしまったこと」と投稿しました。どういうことかというと、間違えないことを目指しすぎて本番を楽しめなかったな、ということです。
お客さんが観に来ているのは一人の人間の感情やあり方であって、極端なことを言えば“間違えずに台詞を言う俳優の姿”ではない。ただ感情をある程度コントロールしていないと、次の台詞や段取りがわからなっくなって止まってしまう危険性があって、一人芝居なのでそうなると誰も助けられないので、バランスというか、安全な方法を取ったと思います。一人芝居は難しかったです。

もっと言うと、問題はもっと根本的なところにあったのかなと思う部分があって、自分の作品に責任が取れないと思ったときにうやむやにしてしまった部分があったこと、そのあと責任を取ろうとしてだいぶ無理をしてしまったことです。

「それまでとっても仲良しだったけど、あるときキツめの一言を言ってしまったことで母親との関係が途絶えてしまった」ということは、私的にはちょっと想像がつかなかった。「そんなわけないやろ」と思ったから、今回は一旦上演したとおりの解釈を取りました。読めば読むほど、この人は婚約者に一切理解されていない。お母さんにも理解されていない。それでも一方的にお母さんをかばい、最終的にお母さんに電話をして、いろんなことをこらえて「ありがとう」と言った。信じられないくらい孤独な人だと思った。その感覚にもっと自信を持てばよかった。というか、私が自信を持たなければこの人を守れなかったのだ。俳優として、「この台詞は言えない」と思ったとき、その感覚に嘘をついてはいけないと思う。20代前半の時はそれで何回も何回もいろんな演出家と喧嘩をして、最近は喧嘩をしなくなって、やれと言われたことをやりたくないのは自分が悪いのだと思ったり、技術が足りないんだと思ったりしていたけど、それはそうとして自分が感じたことに自信と責任を持たなければ、最もがっかりさせてはいけない人をがっかりさせることになる。

私は、幸福な人にはわからないんだな、と感じることがよくあります。ひとそれぞれ苦しみや孤独があるということは理解できるけれど、それでも幸福な人は幸福です。そういう人にはわからないことが山のようにある。言葉を尽くしてもまったく無駄なので、理解されない人はだんだん口を開かなくなります。そういう人のために、私はやらなければならない。あらためてそう思いました。

ご来場いただきありがとうございました。
いつかまた再演すると思います。そのときはどうぞよろしくお願いします。

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